29 土楽右衛門焼きの焼き物 古沢襄

私の母の実家が、長野県の陶器店だったせいで、門前の小僧何とやらで、陶器の目利きの真似事が何とか出来る。おまけに赴任地が九谷焼の金沢、有田焼きの里に近い博多だったものだから、窯元によく通って実地の勉強をすることが出来た。
母の祖母、私からいうと曾祖母に当たる治家(はるや)婆さんは旧藩士族の出で、この怖い曾祖母と旧制中学の二年生から四年生まで一緒の部屋に寝かされ、就寝する前に一日の小言をまとめて説教された。それこそ息の詰まる毎日だった。
そんな怖い婆さんだったが、ある日のこと「瀬戸物は”尻”をみて、それから”肌”をみるものだ」と言ってから、何を思ったのか急に赤くなって、妙にソワソワしだした。
奥手の私だったからその時は、婆さんがあわてた理由が分からなかったが、大人になってから「尻と肌」の意味するところが、理解できるようになった。怖かった婆さんにも可愛いところがあったと、懐かしく思えるようになった。
金沢時代に著名な陶芸家と一夜、歓談したことがあった。その時に治家婆さんの想い出話をしたら、「名言ですね・・・」と感心する。いろいろな趣味があるが、究極の趣味は陶芸に行き着くという。陶器の肌は、女性の美しい肌を連想させるそうだ。
それも九谷焼きの土は黒みがかっていて、健康な野良で働く若い女性の肌。清水(きよみず)焼きのような京都焼きは、白粉で化粧した芸子さんの白い肌。
「尻」というと品がないが、陶器の糸底のこと。その形状や色を見ると陶器の産地が分かる。瀬戸物というと安い茶碗を連想するが「黄瀬戸」は逸品。私は陶芸家・鈴木青々の大皿を持っている。まさに「尻」は平らで、京都焼きの切り立った「尻」とは対照的だ。
東北旅行で旧沢内村に窯を造って三年という陶芸家・土楽右衛門さんのお宅を訪問したことがある。田村俊子賞作家の一ノ瀬綾さん、画家の小角又次さんも一緒だったが、話が弾んで三時間も陶芸談義になってしまった。
土楽右衛門さんというと茶羽織を纏った陶芸家を想像していたが、モダンな近代人。洒落た別荘風の居宅に都会風の若い美人の奥さんと二人暮らしを楽しんでいた。
テレビがお茶の間に入った昭和三十年代の草創期にTBSでテレビの仕事をしていて、デイレクター稼業だった縁で、同業の奥さんと結ばれ、やがて陶芸に魅せられて陶芸家が本職になったとサラッといってのける。
旧沢内村に来たのは、奥さんがこの土地の旧家の出だったのが縁。奥さんはタレントの檀ふみら芸能人とも付き合いが深い。しばらくして杜父魚の置物三点と杜父魚が張り付いた徳利を送っていただいた。西和賀町長の高橋繁さんのはからいだった。杜父魚がとりもつ縁だった気がする。

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