人口六万人の古河市は、埼玉県、栃木県に接する茨城県の古い城下町だが、街おこしのテーマに「古河の歴史と文化」を据えている。秋田県の角館(仙北市角館)を訪れた時にも「角館の歴史と文化」が街おこしテーマになっていた。パンプレットを手にした観光客で賑わい、夏などは人混みをかき分けるのに苦労する。
東北の街や邑では、過疎から脱却するために街おこしや村おこしに懸命に取り組んでいる。豊かな水を資源に地ビールや地元ワインがさかんに売り出されているが、成功するとどこも真似をする。とどのつまりは過当競争になって伸
び悩む。誰でも真似ができる街おこし、村おこしには限界がある。
どこも真似ができない街おこし、村おこしがないものだろうか。回答の一つは、その土地の「歴史と文化」をテーマにした取り組みではなかろうか。歴史とか文化というのは、金にならないと退けられてきた。だが得難い資源だということを古河市や角館は教えてくれる。
東北は北の王者であった安倍一族が栄えた伝説の土地。、安倍晋太郎が健在だった頃、雑談をしていたら「安倍家は東北の安倍宗任の末裔だ」と言った。長州人の安倍晋太郎が東北のルーツを誇りに思っている・・・印象に残る話だった。
岩手県の北上、花巻など中部地区は、まさに安倍一族が割拠し、興亡の歴史を繰り広げたところ。その歴史伝説が必ずしも生かされていない。NHKの大河ドラマで取り上げられると飛びつくように上っ面だけの地元ブームが起こるものの月日が経つと忘れ去られ、人に足も遠のく。
この点、古河市は十年以上の歳月をかけて地道に「古河の歴史と文化」を遺す努力を重ねている。古賀城の出城があったところに「古賀歴史博物館(平成二年開館)」「篆刻美術館(平成三年開館)」「古賀文学館(平成十年開館)」「古賀街角美術館」が近接して立ち並んでいる。近くには武家屋敷が遺され小さな街なのに寺院の数が目立って多い。
何よりも古都の風情を感じるのは、石畳の道路が大切に保存されていることではないか。それと対照的だったのはモダンな煉瓦造りの建物や塀が多かったことだ。小学校の校門まで煉瓦造り、これは昭和二年に煉瓦造りの古賀町役場が作られ、それが街に拡がった。
古き伝統と新しいモダンさがバランスのとれたコントラストをみせているのが魅力だった。ここまでくるには、長い年月をかけて市民が地道な街づくりをしてきたことがある。
古河市を訪れたもう一つの理由は、中世にこの地を支配していた下河辺氏に関心があったからだ。十二世紀頃に古賀周辺の開発領主として現れた下河辺氏は鎌倉御家人となったが、「吾妻鏡」に記載があるものの詳しい資料が散逸している。
下河辺氏は「秀郷流藤原氏」の末裔。永享記には「下河辺行平が館と聞こえし古賀城なり」とあるほか、古賀志には「下河辺氏は古賀に居る。されど何の頃迄、此に居住して、何等の事にて没落せしにや、所見なし」とされている。
面白いのは伊豆にも下河辺氏がいて、北条五代記に「八丈島の島女は甚だ美容なり。そのかみ下河辺六郎行秀入道定房が此の島に渡り、あまたの子を生みしより・・・」とロマンをかき立てる記載が残っている。
古河市では「古河市史・中世資料編」を発刊しているが、下河辺氏の新しい資料は見つからない。幻の下河辺氏だけに一層、興味をそそられる。古河市の名物は”うなぎ”だが、市内の料理屋に女房と愛犬バロンを連れて入ったことがある。玄関脇の大きな樹にバロンを繋いでおいたが「大人しい犬ですね」と褒められた。そのバロンが死んで一ヶ月経った。バロン二世は、まだ四ヶ月の仔犬だが、いずれ古河のうなぎを食べに連れて行こうと考えている。
31 八丈島の美女たち 古沢襄
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