34 喉頭がんで入院の総理 渡部亮次郎

ロック歌手の忌野清志郎さん(55)が喉頭(こうとう)がんと診断されて入院したと、所属事務所が13日発表した。今後のライブ出演などの予定はすべてキャンセルする。
忌野さんは、自身のホームページに「何事も人生経験と考え、治療に専念できればと思います。またいつか会いましょう。夢を忘れずに!」とのコメントを掲載した。>  (時事通信) – 7月13日12時1分更新
忌野清志郎 イマワノ キヨシロウ 誕生日1951年4月2日 星座 おひつじ座 出身地 東京 血液型 A型 歌手・アーティスト デビュー年 1970年 デビュー作品 宝くじは買わない 趣味自転車 出典:日本タレント名鑑2006(VIPタイムズ社)
この人の歌も知らないが、喉頭癌と聞けば反射的に政治記者初年兵の昔に還る。「総理大臣は喉頭癌!」大特ダネをモノしたのに「没」!という誇らしくも苦い青春。
あれから42年。国立がんセンターのホームページを見ると、医学の進歩は目覚しく、喉頭癌といっても様々な治療法が確立されている。池田勇人総理のように10か月後には死んでしまうということはなさそうだ。
<喉頭はいわゆる「のどぼとけ」( 甲状軟骨先端)に位置しており、内面が粘膜でおおわれた箱のようなものです。
喉頭がんは、年齢では60歳以上に発病のピークがあり、発生率は人口10万人に対し3人程度です。男女比は10:1で男性に圧倒的に多いという特徴があります。
喉頭がんの主な危険因子は、たばこと酒です。喉頭がんにかかった方の喫煙率は90% 以上であり、またアルコールの多飲が声門上の喉頭がんの発生に関与するといわれています。
喉頭がんも他のがんと同様に早期発見が非常に重要です。喉頭がん全体の治癒率は約70%と頭頸部がんの中でも高い治癒率ですが、早期に発見すれば音声を失うことなく治癒することが可能です。
そのため最近では、喉頭がんの早期発見を目的とした音響分析による検診なども試みられています。
最も多い声門がんでは、ほぼすべての方に嗄声(させい:声がれ)がみられます。この嗄声は雑音の入った、ざらざらした、かたい声です。1ヶ月以上嗄声が持続する場合は、早急に専門医を受診することが大切です。>
そういえば池田総理は、7月の地方遊説の頃から嗄れ声が酷くなったという。しかし私はその頃、まだ盛岡だったから分らない。その頃の池田担当は、後にNHK会長になる島桂次。彼は池田の癌だけは見抜けなかった。
私が岩手県盛岡市から東京のNHK政治部に発令されたのは声が嗄れだした直後の1964年7月10日。この日に自民党大会が開かれる、政治部は大多忙だ、発令日に着任しろとのご沙汰。まだ新幹線も高速道路もない時代。特急「はつかり」で上野に着いた。
文京公会堂で開かれた党大会では、池田が3選したものの、佐藤栄作との差は僅かだった。松村謙三が「一輪咲いても花は花」と誉めそやしたとか。
しかし、間もなく池田総理は、喉に異変を覚える。それで無くとも野太かった声にしゃがれが進んだ。「ところてんが気持ちいい」と言い出して、診断の結果、1964年9月9日から国立がんセンターへ喉頭の治療のため入院。すでに癌は相当進行していたといわれるが、発表は「喉頭の前
がん症状」。たばこに大酒が祟った。
今から40年前の日本では、癌といえば「不治」だった。前癌症状と癌とはどう違うのか。この日から政治記者のすべてが、担当医や学者の夜討ち、朝駆けを展開した。池田総理が喉がほんものの癌だというなら、引退必至。
7月に池田に敗れたばかりの佐藤栄作はもちろん、池田と最も親しい党内No.2の実力者を自任する河野一郎、総理総裁を狙えばこそ私財を擲って財界から政界入りした藤山愛一郎が鎌首をもたげて医学情報に血眼になった。
私は総理が東大付属病院耳鼻咽喉科で切替一郎(きりがえいちろう)教授の初診察を受けた時の番記者だった。東大までついて行ったが、秘書官からは、初めは何の説明も無かった。
夕方になって「池田総理は喉の治療のため、明日から築地の国立がんセンターにしばらく入院」の発表。入院はしたが、症状は「前癌症状」。今は癌ではない、放置すれば癌になる、という発表。
いささか威張るが、「池田は真性喉頭癌である」との確定的情報を池田総理治療医師団の一員から取ってきたのは、盛岡から来て1ヶ月の渡部記者だった。
放射線医学研究所長塚本憲甫さん。「記者さん、前癌なんてないんですよ。癌であるか癌でないかだけでね」。諦めて朝駆けから帰るべく靴の紐を結ぶ頭上で「神」の声がしたのだった。
しかし、特ダネは幻に終わった。池田総理がNHK-TVを常にご覧になっている。このニュースは「告知」になってしまう、といわれて下を向いた。
国立がんセンターのホームページによると、喉頭癌はあれから40年、そんなに恐ろしい病気ではなくなっているようだ。
<原発巣の治療は、放射線療法(体外から照射する)と外科療法が2本の柱となります。抗がん剤による化学療法は、喉頭を温存するために放射線療法、外科療法に先立って施行されるか、手術不可能な場合、再発で他に治療法のない場合などに行われてきました。
しかし、最近は従来標準治療として喉頭全摘出が行われていた症例に対しても、放射線と多剤化学療法との同時併用治療を行い、喉頭の温存をはかる治療も行われています。
外科療法は、がんの原発部位の周辺だけを切除する喉頭部分切除術と、喉頭をすべて摘出する喉頭全摘出術に分けられます。多くの場合、喉頭部分切除術は早期がんに、喉頭全摘出術は進行がんに施行されます。
放射線療法や外科療法でも治癒する可能性がある場合の治療の選択は、年齢、全身状態、職業などを考慮した上で、それぞれの治療の長所短所を十分説明して決定します。
頸部リンパ節転移に対する治療は、一側または両側の耳後部から鎖骨までの範囲のリンパ組織を含んだ部分を切除する頸部郭清術(けいぶかくせいじゅつ)ですが、切除不可能な場合は放射線療法を行うことがあります。>
これを読む限り、忌野さんは再起する事は十分、可能のように思う。進歩は相当なものだ。しかも、池田総理絶望、と診断した東京大学医学部教授切替一郎の功績でもあるようだ。
<「教授室だより」第5号 (2005年1月) 東京大学医学部 外科学専攻 耳鼻咽喉科学 脳神経医学専攻 感覚運動神経科学教授 加我君孝によると2005年は、東京大学耳鼻咽喉科学教室開講105年目、教室の研究を国際化させた切替一郎教授生誕95年、没後15年にあたります、とある。 1990年に80歳で逝去されたということか。 この切替教授こそは忘れられない教授である。池田総理を末期癌と診断した教授であり、私を馬鹿にしたセンセイだからである。 池田総理が東大医学部付属病院の耳鼻咽喉科で切替教授の診察を受けた日の夜、私は三鷹市下連雀、畑しか周りにない切替教授に夜回りした。まだ帰宅してないというから待った。 ところが風呂場からは大人の咳払いが聞こえる。あ、これは居留守だ。総理の病状は医者が居留守を使って記者を避けるほど重篤なんだと判断して帰宅した。 ところが翌朝、デスクに切替教授から抗議が来たとかで、呼びつけて怒られた。「お前は切替家にしのびこんだそうじゃないかッ」。畑の中の一軒家。風呂場に耳を澄ます私をセンセイは見ていたのか。 <東大耳鼻咽喉科学教室開講105年目の特別な行事は今のところ予定しておりませんが、2006年に担当するめまい・平衡神経科学会と2007年に2005年のキューバに続いて担当することになると予想されるInternational Evoked Response Audiometry Study Group(IERASG)の準備の年にしたいと考えております。 ただし、教室の年報である同窓会通信に、105周年記念号並びに切替一郎教授生誕95周年、没後15年記念号とする特別編集をする計画も立案しているところです。>加我君孝教授がこのように紹介しているところを見ると切替教授の残した足跡は相当のものらしい。 総理大臣池田勇人はがんセンターで放射線治療を続けるため、東京オリンピックの閉会式出席を最後に辞意表明。後任総裁は話し合いの結果、佐藤栄作に落ち着いた。 1964年12月 退院。 1965年7月29日 - 東大病院に入院。そのとき池田は秘書官だった伊藤昌哉の掌に字を書いた。伊藤は意味が分らず時を過ごした。「ガン」と書いたのだと後でわかって声をあげた。総理は遂に自分が喉頭癌だったことを知ったのだ。 1965年8月4日 手術を受ける。 1965年8月13日 術後肺炎により死去。享年65。葬儀は自民党葬として行われる。墓所は故郷の広島県竹原市と東京都港区青山霊園にある。 島さんも鬼籍だ。官邸キャップの広瀬光之さんも。忌野さんの入院のニュースでとんだことを思い出したものだ。(文中敬称略)2006.07.14(頂門の一針より転載 許諾済み)

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