35 バイカル湖 古沢襄

バイカル湖には二度訪れた。シベリアのイルクーツクから車で東へ70キロ、一時間半ほどで「シベリアの真珠」といわれた美しい湖が優雅な姿を現す。この湖に魅せられたのは、その美しさだけでない。

北方系日本人のルーツとみられるからだ。広さは琵琶湖の五〇倍という海のような湖畔に古代のブリヤート・モンゴル人が住んでいた。モンゴル高原に住む高地モンゴル人と同系統ではあるが、古代トルコ人との混血によって、背の高い別種の低地モンゴル人が生まれている。
混血以前ではないかと思うが、氷河期に低地モンゴル人は暖かい土地を求めて東へ移動している。それが陸続きであったカラフト(樺太)から北海道に渡り、冬には結氷した海峡を渡って東北にやってきたという説がある。これが日本の縄文人の先祖ではないかと思われる。古代倭人といっても良い。
東北に「衣川文書」という民間伝承の古文書・四〇〇点を集めたものが存在している。衣川邑は「続日本紀」にもでてくる。この古文書の中に①山靼(ダッタン)にブルハン湖(バイカル湖の古称)あり②およそ15万年前に山靼より氷海を渡り、7万年前に奥州に来たりし渡来民を祖となす③ブルハンの神理を神道の知識としアラハバキ神としたり・・・とある。
北の王者として奥州に君臨し、京都の朝廷軍によって滅ぼされた安倍一族が信仰したのはアラハバキ神であった。東北人の血をひく私は、バイカル湖にくるとブルハン湖といわれた時代に想いを馳せる。
このバイカル湖に春から夏にかけて渡り鳥のインド・ガンが飛翔してくる。冬をインド北部で過ごすインド・ガンは、中国の青海湖を中継地にして、バイカル湖にきて、繁殖期を迎える。
日本ではみることが出来ない鳥だが、インド・ガンは渡り鳥の王者の風格を備えている。鳥インフルエンザで一躍有名になってしまったが、バイカル湖から新しい子を伴って、インド北部に一斉に帰る時のバードウオッチをする夢を持っている。
イルクーツクからバイカル湖近くまで来ると、小高い丘に聖ニコライ教会が見える。1846年に建てられた教会だが、この地はチェレンホボという観光地。教会に近くにシベリアに抑留され、この地で果てた日本人の墓地がある。バイカル湖を訪れる人は、この日本人墓地にも訪れてほしい。美しいバイカル湖だが、祖国の土を踏むことなく、異郷に眠っている無念さが、一方であることを忘れてはならない。(2006・7・15)

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