6月22日から7月2日までの11日間、新疆ウイグル自治区、天山北路にあたる「草原のシルクロード」を旅行してきた。北疆とは新疆ウイグル自治区の天山山脈の北側を言う。カザフ族が多く住み大草原が広がっているところ。また、地形的には南に天山山脈、北にアルタイ山山脈、西はタルバガタイ山脈に囲まれ、それぞれモンゴル、ロシア、カザフスタンとの国境に接している。
初夏の6月は緑が美しく一番すごしやすい季節と言われていたが、天気に恵まれた今回の旅は毎日が快晴、日中の気温は常に30度を超え、澄んだ空気の中、強烈な紫外線を浴びる結果となった。北京から雑誌「人民中国(日本語版)」出版社・于明新社長が同行し、いろいろと案内してくれた。
1日目は成田から北京に、雑誌社の于社長と合流、その日の午後8時、北京空港を出発した国内線はウルムチに深夜0時に到着する。そのままホテルに直行。
翌日は午前中、ウルムチ市内観光となる。市内を一望する紅山公園、新疆ウイグル自治区博物館、バザールなどを見て歩く。丁度、昼近い時間だったのか街頭でのウイグル族の集団礼拝を見る機会もあった。また、博物館で見た楼蘭美女(3800年前)のミイラは圧巻。
ウルムチからの全行程を日本語ガイドしてくれたのはウイグル族の若き女性、阿米那(アミナ)さん。日本語、中国語、ウイグル語とその語学力には驚きだ。そしてウイグル族特有の彫りの深い顔立ちはなかなかの美形。
その日の午後に次の移動地、阿勒泰(アルタイ)市へ向かう。ウルムチから約600km。ウルムチ空港を18時に出発した国内線双発機は、19時30分アルタイ空港に到着、実際は北京との時差が2時間以上あると言うから、アルタイの街は真昼の明るさだった。
さて、このアルタイからはバスによる長距離旅行が始まる。3日目、ホテルを8時に出発したバスは、ジュンガル盆地を西に向かって150km、布楽津(ブルチン)市を通過して北上する。次の宿泊地、呵納斯湖(カナス湖)自然保護区までは、さらに130km走る。ここは一見、カナダを連想させる風景だ。残雪のアルタイ山山脈をバックに樅ノ木の森林と湖は実に美しい。ただ、宿泊所の設備はいま一と言うところか。
このカナスでは中国政府からも少数民族と認定されていない「図瓦人(トアール人)」の家を訪問した。ロシア式住宅、生活も見てきた。彼らは14世紀、元朝の滅亡で蒙古軍が北方へ引き上げる際、置き去りにされた民族だと言われている。従って少数民族、蒙古族の中のトアール人と言われているそうだ。現在の人口は約2500人との説明。
4日目、カナスから2、30キロ北上すると「白哈巴」と言う村に着く。右にモンゴル、中央にロシア、左にカザフスタンと、三国に接する国境の村。この辺の住民はほとんどがモンゴル族、国境とは言え有刺鉄線が張られているだけで、中国国旗一本立てられた簡単な警備隊の建物が見えただけだ。アメリカ映画「大脱走」でスチーブ・マックインが草原の国境をオートバイで疾走するシーンを思い出す。
今夜はブルジン市へ戻って宿泊。午後3時にカナスを出発したバスはブルジン市へ夕方の6時に入る。街は真昼の明るさだ。夕食を終えて2、3の旅仲間と連れ立って夜のバザールに繰り出す。気温30度近い街の中は夕涼みをかねたウイグル族、カザフ族、そして数少ない漢族の人達で一杯。我々もビール(3元=45円)、シシカバブ(羊肉の串焼き、1元=15円)を食しながら、夜店のみやげ物を覗いてみた。
5日目、次の目的地は300km先の克拉馬依(クラマイ)市。途中、悪魔の城と言われる「魔鬼城」を見学する。ここは広大な奇岩地帯。長い年月、侵食された地形に激しい風が吹きつけられると悪魔の鳴き声のような不思議な音がこだますると言われ、最近観光地化されたようだ。
更に国道を進むと石油採掘機が立ち並ぶ砂漠地帯が見えてくる。石油の街と言われるだけあってクラマイ市に入る道路には大型タンクローリーが行き交っていた。
次はクラマイ市から西に向かって約420km走る。カザフスタンとの国境近い博楽市へ向かう。100km,200kmと周りには何もない、見渡す限り赤茶けた荒涼たる大地をバスはただひたすら走る。一直線に延びた道路の前方には天山山脈の山並みが見えてきた。バスの中では持参したブランディを開け、おつまみをつまみながらみんなで酒バーの気分で、この大地の風景を楽しむ。博楽市には2泊となった。
ここ博楽市を基点にして中国とカザフスタン間を走る国境鉄道の駅、阿拉山口(アラサンコウ)を見に行く。国境に向かう一本道の道路には検問所があり、警察官が2人、バスの中まで立ち入って名簿と人数の確認だ。阿拉山口の駅前は昼休みの時間帯のせいか人影もまばら、駅員の姿さへ見えない。昼寝の時間だったのだろう。目ざとく我々のバス到着を目にした売店のお嬢さんが一人、跳んで来て商売を始める。みやげ品は主にロシア製が多いようだ。酒はウオッカ、手芸品は銀製のコンパクト、ピストルを模したライター、飾りがついた腕時計(30元=450円)などなど、時計を買い求めた人が何人かいたが、次の日には秒針がストップしていたという話も聞いた。今夜も博楽市泊まり。
8日目、博楽市から240km南へ下って伊寧(イーニン)市へ向かう。途中に「天山の真珠」と言われる美しいサリム湖がある。標高は2400m。人家の見えない湖畔を一人、馬に乗ったカザフ族の老人がゆっくりと遥か彼方へ去っていく姿が印象的風景だった。
イーニン市から約10km地点に中国とカザフスタンを結ぶ道路が一本ある。霍?果斯口岸(日本読みではカラカス?)と地図には表記されている。中国側、カザフ側それぞれに税関の建物が見える。中国側には大型バス、トラックが十数台検問待ちで並んでいた。伊寧(イーニン)の街自体は特にめずらしいものはない。
さて、このイーニンでバスでの旅は終焉となる。約1420kmを走ってくれたバスの運転手・周さんともお別れだ。イーニン空港から11時発の国内線に乗りウルムチへ戻る。再びウルムチに一泊、翌日はガイドのアミナさんともお別れだ。
ウルムチから北京に戻った夜は「人民中国」雑誌社の若き編集スタッフを交え、旅の無事帰還を祝った。北京料理を囲みながら「乾杯、乾杯」と大いに盛り上がったと言うことだ。
バスでの走行は約1420km、機乗距離約3300kmと、なかなかハードな旅行だった。ツアー参加者は9名、それも65歳以上の高齢者ばかり、中でも79歳で一人参加した元気な女性には驚いた。彼女の元気の源は「良く食べること、あらゆる事に興味を持って行動していること」だと知った。79歳の彼女に元気を貰ったと言う旅でもあった。
今回の旅で中国行きは12回となったが、沿海地方と違って内陸地方の経済はまだまだ進んでいないというところを体験してきた。そして、地球の広さと日本では見られない大自然を満喫してきた。大変に疲れたが、旅仲間にも恵まれ、楽しい旅となった。
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