2006年7月20日に手紙でピアニストの杉谷昭子さんから連絡があり。22日夜に東京の浜離宮朝日ホールで予定していたヴァイオリニスト海野義雄(東京音楽大学学長)とのコンサートは「海野さんの腕の故障により延期」との知らせ
経緯があって今日しかないが、海野さんはあのままなら間違いなくいまは国立東京芸術大学の学長だったはずだ。だからその海野さんが「腕の故障」というならマスコミは大事件として報ずるべきところ、少なくとも新聞には1行も見えない。
<海野義雄は、1958年に東京でデビュー、1975年に史上最年少で東京芸術大学教授に就任し、日本、ヨーロッパ、南北アメリカなど主要なオーケストラに招かれて共演したり、ジュネーブで行われる『国際バイオリン競技会』やパガニーニ生誕200年祭の『国際バイオリン競技会』の審査員に選ばれるなどして輝かしい名声を博した、国際的に著名なバイオリニストである。
その海野義雄が逼塞しなければならない、その時の姿を一体誰が予想できたであろうか?
『芸大事件』は、戦後、日本の音楽の水準が急速に進んで取り残されたが、年功序列にあぐらをかいて、首にもならずにいる凡庸な教授がスクラムを組んで、若いやり手の海野義雄をおとしいれたとは言えはしないか。
収賄事件にしても、素人又は技術未了の学生や親が、何千万円もする楽器を買う場合に、その価値について疑問や不安がつきまとうが、世界的な演奏家の鑑定があれば安心できる。
買う方だけでなく、売る方も助言を求めたりお礼をするのは当たり前で、単価が高い楽器であるだけに、日常生活に必要な買物の助言をしてもらった時にするお礼と額面が違うのも当然である。
例えば、アメリカでは、不動産を担保に融資をする銀行は、必ず鑑定士に依頼して査定し、その手数料を要求する。また、企業や不動産の買収に社運をかけて携わった、法律事務所や不動産鑑定士の会社に数百万ドル単位の手数料を払う。
事件が報道された時、学生たちが海野義雄を悪く思わなかったのは、身内を庇う意識だけでなく、その辺の事情を承知していたからだけでなく、彼の音楽的な実力を高く評価していたからではなかったであろうか。
世界の桧舞台で一流の演奏家として活躍しながら経験を積んで、教える種を充分に仕込んだトップの卒業生が、年功序列の壁を突破して教授になったのであるから、世間も学生も、海野義雄を高く評価するのは当たり前である。
しかし、そうなると凡庸な教授たちの馬脚が現れる。そんな男に数少ない職場を荒らされてたまるか、と結束した凡庸な教授たちが仕組んだ事件であったと言えはしないか。>(ロサンゼルス日系交響楽団の創設指揮者・菊川暁の伝記 ペガサスの 翼 より)
ピアニスト杉谷昭子さんのお引きで海野さんの演奏を最近、良く聴いていたが、とにかく力強いのだ。自信にあふれて弾いているから、先に不安がない。それこそ心豊かになる。
その天分、技量からして、日本の音楽界をリードしてゆくべきは当然の人なのだが、下司らに要らざる足を引っ張られて、今日である。
似たような世界にアマチュア・スポーツ界がある。40年前に死んだ河野一郎さんに良く聴かされた。「この世界ほど汚い世界はない。みんな本職を持って、名誉職を狙っているからだろうな、汚い」
同じように大学教授、学会、似たようなものらしい。本当に実力の無い者の立場に立って考えると、実力のある奴がこのままのして行くとオレは存在が小さくなって誰からも認められなくなってしまう。
さりとていまさら自分を大きくする事は不可能だ。そこでいい考え。あいつの足を引っ張って失脚させれば、オレの小者ぶりはめだたないや。大物が小技に弱いわけだ。2006・07・20
58 海野義雄の怪我 渡部亮次郎

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