59 足が遠のいた信州 古沢襄

信州で少年時代を過ごした私だが、この十年近く足が遠のいている。田中康夫という変わった県知事を県民が挙って選んで以来、私の心のふる里である信州が遠い存在になった。おまけに遠縁の八十二銀行元頭取・茅野實さんが六年前に田中知事担ぎ出しに奔走したのだから、一層、信州が嫌いになった。
信州・上田のに母・真喜の実家がある。六紋銭の旗印で知られた真田幸村の居城があった土地で、疎開した私は上田中学で四年修了するまで在学していた。ひとつ年上の絢子さんという従姉は初恋の人であった。文学仲間の一ノ瀬綾さんは上田高等女学校の出身だが佐久にいる。時折、信州に心が飛ぶことがあるが、いざ行こうとなると足の方が動いてくれない。
私には茅野春雄という兄貴のような従兄がいる。あだ名はポケット・モンキー。ながらく北海道大学の名誉教授をしていたが、夫人が病弱だったので、一昨年に札幌から東京に引き揚げてきている。東洋大学工学部教授になっているが、リポタンパク質の発見で学会でも知られた昆虫博士。岡谷の茅野一族である。
戦後間もない昭和二十三、四年頃、春雄さんと絢子さんの婚約話があった。美人の絢子さんに恋をしていた私は焼き餅をやいて、この婚約話の邪魔をした。当時、春雄さんは旧制松本高校から東大理学部に入ったのだが、私も四年修了で松本高校を受験するつもりでいた。ところが受験直前に骨膜炎になって寝込む始末。婚約話の邪魔をした罰が当たったのかもしれない。
池田内閣の頃、首相遊説に同行して岡谷にいき、八十二銀行の岡谷支店長だった春雄さんのお父さんの家にお邪魔した。長い原稿を茅野宅の電話を借りて、東京に送稿したのだが、そのまま電話代を払わずに帰った。今、思い出しても冷や汗がでる。自宅で作ったという朝鮮漬けが、氷っていたので冬のことだったと思う。
花岡信昭さんは対抗馬の村井仁が「意外なまでに善戦し、大逆転もありうる
雰囲気」と分析している。
その背景について①選挙戦が盛り上がりに欠けている②投票率が低ければ組織票が主体の村井側が有利③全国で一番大きかった長野水害④村井が「道州制」導入を軸に改革の旗印を掲げた・・・ことを挙げている。
「脱ダム」宣言をしている田中知事には、水害被害を受けた県民から「本当にダムがなくて大丈夫なのか」という疑問が突きつけられるであろう。また道州制導入に対しては「長野県が消滅することを県民は望んではいない」と応酬しているが、これは守旧派的なイメージを与える。
田中知事に恨みがあるわけではないが、あのパフォーマンスと独善的な態度は私の好みではない。花岡さんの分析のような結果がでれば、久しぶりに信州を訪れる気になるかもしれない。

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