ソバといえば日本固有のものだと思っていた。信州で少年時代を過ごした私は讃岐ウドンよりも戸隠ソバが好きだ。小諸郊外のパブリック・ゴルフ場によく出かけた私は、帰りには必ず小諸市内の名物ソバ屋に立ち寄った。信濃毎日新聞社の旧友が教えてくれた店だが、日本酒を傾けながらソバをつまみ代わりに遅くまで飲んだ。
衆院議長だった前尾繁三郎さんが、大正十二年に旧制第一高等学校に入学して初めてソバを食べたという。東京の盛りソバは、せいろうに盛ってあって、汁をつけて食べる。しかもソバは細打ちであって、関西のような太打ちではない。すっかりお江戸の盛りソバに魅せられて、大学に進んでからは本郷界隈のソバ屋の食べ歩きが趣味になったという。
ソバ好きが高じて日本麺類業組合連合会の顧問や名誉会長を十年以上もつとめている。その頃は「木曾福島のソバはつなぎに良い自然薯を使っているから、ソバそのものは絶品だが、汁はどうもあか抜けしない」と語るなど一角のソバ通になっていた。
正直にいってソバの汁は東京にかなうものはない。お江戸のソバ汁は鰹節をふんだんに使って風味をだしている。濃口醤油をベースにして、味醂と少量の砂糖を使って、汁の素である”本返し”を作っている。今時、これだけの手間をかける店は少なくなったが、値段の高い老舗のソバ屋はまだ残っている。
日本でも東京のソバ、大阪のウドンというから、ソバは日本固有のものだと思ってきた。原産地も日本だと早飲み込みをしていた。八年前にシベリア旅行をした時に地平線まで広がるソバ畑をみて仰天してしまった。イルクーツクの料理店でソバ粒を混ぜたスープを飲んで、奇妙な味だがロシア料理にソバが使われることを知った。
何のことはない。ソバの原産地は,バイカル湖付近から中国東北地方に至る冷涼地域だった。またほろ苦い風味があるダッタンソバはヒマラヤ山麓が原産地だという。
日本にソバが伝わった年代は定かでないが、奈良時代に支那に渡って修行した僧侶が、点心料理の材料として持ち帰って広まったのではないか。ヒマラヤ山麓では標高2500メートル地点から4000メートルまでの高地でダッタンソバが栽培されている。しかし2000メートル以下には普通ソバという品種がある。この普通ソバが中国を経て、日本に伝わったという。
そうなると世界最大のソバの原産地であるシベリアの普通ソバは、日本に伝わらなかったのであろうか。北海道の「はまなす遺跡」は縄文前期のものとみられるが、この遺跡から普通ソバの花粉が出土している。
縄文晩期とみられる青森県田子町の遺跡からもソバの花粉が出土している。信州の野尻湖底からは弥生時代の普通ソバの花粉層が発見されたので、ソバ伝来の歴史は、縄文前期まで遡って考える必要がある。私はブリヤート人が日本に渡来してきた時に、シベリアの普通ソバを持ってきたと想像している。
ソバはロシアで大部分が生産されていて、それ以外はポーランド,カナダ,日本がお
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