62 金正日の行方 古沢襄

北朝鮮の金正日国防委員長が、このところ公式行事に一切姿を現さないことがいろいろな憶測を招いている。軍によって軟禁状態にある説、ロシアに保護されている説、北朝鮮北東部から列車でロシアに向かったという目撃情報、中国指導部との決定的な不和説などが流れているが、いずれも確かな複数の確認情報を得ていない。
中国の武大偉外交部副部長と回良玉国務院副総理が平壌を訪問した時にも金正日国防委員長は現れなかった。一説には彼らの面談を断ったという。「中国は決定的な瞬間、我々を助けてくれない」と金正日国防委員長は、中国指導部に対する不信感と批判を吐露したという情報もある。
謎の閉ざされた国だけに外からみるだけでは分からないことが多すぎる。しかしこの様な情報が流れること自体が、北朝鮮で何かの動きが出ている証拠ではないか。朝鮮戦争で中国が義勇軍を介入させて以来、北朝鮮と中国が鉄の軍事・経済同盟を結んできた関係に”きしみ音”が出ていることだけは確かな様である。
国家の最高機密情報は簡単には漏れてこない。佐藤内閣の橋本官房長官時代に大きな魚を逃がした苦い経験がある。トミさんの愛称で新聞記者にも人気があった橋本官房長官は朝日新聞の記者出身だった。電話で重要な情報を聞くと記者時代の癖がでて、メモをとる性癖がある。
トミさんの癖を承知していた橋本番が官邸サブ・キャップになっていたが、国会の官房長官室で、屑籠からトミさんが走り書きした重要メモをみつけた。「下田 旧軍人30数人が渡台、国府軍・・・」とある。
官邸サブ・キャップから外務省詰めだった私のところに連絡が入った。メモにある下田は、外務事務次官の下田武三と見当をつけての電話であった。同時に旧軍人グループ、公安筋に対する極秘取材が始まっている。
憲法で海外派兵が禁じられている日本が、大陸反攻を呼号する蒋介石の国府軍に軍事指導のため旧軍人が大挙渡台したのを黙認したとなれば、内閣が潰れるほどの事件である。
だがトミさんの走り書きのメモだけでは、記事にするには不十分である。それを裏付ける確認取材の補強が必要になる。他社に気づかれない様にして、下田次官に直接当たることにした。
下田次官のあだ名は”道学者”、謹厳な面もちで真面目に答えてくれる。しかし事がことだけに、表情で確認をとるしかないと覚悟した。「いやー、聞いておりません」と顔色ひとつ変えずにとぼけられた。二度、三度と押してみたが、まったく反応がない。
旧軍人グループや公安筋の反応も同じだったという。トミさんの走り書きだけでスクープ記事を書くのは冒険であった。虚報の烙印を押されて、黙殺される可能性があった。
あきらめ切れない私は、暮れと正月を返上して、台湾の国府軍取材の名目で十日間、出張渡台した。最前線の金門島や海兵隊の拠点・左営海軍基地などを回り、蒋経国国防部長にも会った。しかし渡台している筈の旧軍人の消息は掴めなかった。
当時は知られていなかったが、1948年に蒋介石の要請によって、岡村寧次・旧支那派遣軍総司令官が人選して、大本営参謀ら百余人が秘かに上海から南京に入っている。
団長は旧第二十三軍参謀長の富田直亮中将。全員が中国名を名乗り、富田中将の名は白鴻亮。ここから白団の通称がでたが、国府軍の各部隊に入って作戦指導したほか、兵士の訓練、教育にも当たっている。
私が渡台した時には、そのことも知る由がなかった。戦後秘史というべきであろう。われわれが知ったのは、公開された米国資料からである。トミさんメモの真実は、今もって霧のベールに包まれている。

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