杉本信行さん、と言っても知る人は少ない。2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が自殺した事件は知っているでしょう。2年もしてから明らかになり、日本中が怒ったらから。 このときの上海総領事が杉本さんだった。
2004年5月、在上海日本総領事館の館員(当時46歳)が中国の情報当局から外交機密などの提供を強要され、自殺した事件は外務省が小泉総理にも報告してなかった。
2006年になって週刊文春がすっぱ抜いて始めて明らかにされた。しかも当時の責任者たる総領事の杉本信行氏は、その年の11月帰国していて、身分は外郭の国際問題研究所の主任研究員という閑職にまわされていた。
杉本氏に面識はある。何しろ一緒に北京へ出かけてのだから。京都大学在学中の1972年に外務公務員上級試験に合格した。田中内閣により日中国交正常化が図られた年である。いわゆるチャイナスクールで養成され6年後の日中平和友好条約締結交渉のときは園田大臣の一行に加わっておられた。
当時の記録を取り出してみたら、中国側が用意した一行13人の名簿中になぜか「杉本信真」と誤植。中国課事務員、迎賓館107号室に東郷和彦条約局首席事務官と共に泊まった。
本籍地京都府 昭和24(1944)年、中華人民共和国建国宣言目前の1月24日生まれ、京都大学法学部卒業に先立って外交官試験に合格。希望してない中国畑に無理やり叩き込まれた。
まだ57歳。これまで中国勤務計14年。先輩外交官の岡本行夫氏の評価は「行動する外交官」として極めて高い。「金を貸すバカ、返すバカと言われる中国で苦闘する日本企業の悩みに耳を傾け、トラブル解決のために奔走した・・・天は、過酷な試練を、この愛国者に課した」と、今度、杉本氏が出版した本の冒頭に「解説」を寄せている。
出された本は『大地の咆哮』元上海総領事が見た中国 PHP研究所。1700円。事情が事情だから、中国側の反発を怖れず書かれた史上唯一の中国論が詰まっている。
中国共産党がなぜそんなに突っ張らなければいけないか、すぐ分る。ぜひ一読を奨めたい。発売13日で2刷りが出る勢い。大変な売れ行きである。
繰り返すが、中国ものの本は再入国の希望を持つ人には外交官であろうが特派員であろうが真実の書けた験しがない。杉本さんの本には真実がある。
長くなるが、杉本氏が末期癌を押してなぜ著書の執筆に踏み切ったか、心情を察していただくために本の「あとがき」をあえて再掲させてもらおう。
<上海で同僚を失ったその年(2004)の秋、一時帰国中に、思いがけず自らの体に病巣が発見された。一刻の猶予もならないと言うことで、東京で治療を受ける手はずを整えた。
公館長の中でも多忙を極める上海総領事のポストを長期間空けるわけには行かないと判断した私は、外務省の官房長に後任人事を願い出た。(中略)
04年11月、帰国と同時に入院した際に医師から告げられた最終診断は末期癌。「手術も放射線治療も間に合いません。化学療法で全身に広がった癌細胞を叩くしか方法はありません」と言うことだった。
(略)家族の将来がひたすら案じられた。限られた命をどう有効に使うか、時間との勝負となった。化学療法の副作用は半端なものではなく、体力が消耗し、第一線で働いていた時とは状況が一変した。
これだけ相互依存関係を深め、いまやアジアのみならず世界の安定的な発展に不可欠になった日中関係において、5年間も首脳同士の対話が中断すると言う異常な状態が続いていることに対し、改めて非常な違和感を覚えた。
(略)これまでの経験を基に、現在の日中関係に何か貢献したいという思いが強くなり、周囲の勧めがきっかけとなって本書を書くことを決意した。(略)
抗がん剤の副作用で頭が朦朧とするなか、薬で痛みを抑えながらパソコンに向かい、家族、友人、同僚の激励に後押しされながら何とか書き上げることが出来た。助けて下さった皆様に、この場を借りてお礼を述べたい。(略)
最後に、本書を、上海で自らの命を絶った同僚の冥福を祈るために奉げる。また、奇跡を信じて完治をいのってくれている家族、両親、兄弟に感謝の気持を込めて贈りたい。2006年5月。杉本信行>
2006・07・24
70 中国の真実を語る外交官 渡部亮次郎

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