76 知中派の気迫ある中国論 古沢襄

外務省のチャイナ・スクールへの世論のパッシングが続く中で、上海総領事だった杉本信行さんが出版した「大地の咆哮」が評判を呼んでいる。渡部亮次郎さんが杜父魚文庫ブログに投稿しているので重複を避けるが、共同通信社国際局の河野中国語ニュース室編集長も上海時代の杉本さんを回顧して「知中派の気迫を失わない杉本さんの回復(末期ガン)を心からお祈りする」と結んだ。
河野氏は上海支局長時代に杉本さんからオフレコで中国情勢の分析を聞いていた。杉本さんは日本企業が集中する上海の総領事として、合弁調印式などに小まめに出席して、必ず中国語であいさつして評判だったという。それだけならチャイナ・スクールの媚中派だってやることなのだろうが、上海という経済発展の先端に目を向けるだけでなく、その背後に取り残された農村問題にも強い関心を持っていたのが、杉本さんの杉本さんたるところであった。河野氏は貧困援助事業の取材先でも杉本さんと顔を合わせたという。
日本の中国に対するODA(政府開発援助)について、杉本さんは大規模プロジェクトよりも農村部での学校建設や貧困救済など草の根援助を重視している。豪華な北京新空港が三百億円の円借款を使って建設されたが、中国の国民はそれを知っていない。農村部にはあばら屋同然の校舎が少なくないのだから、一千万円あれば三階建て校舎が建ち、村人らは数世代にわたって日本の援助を感謝するというのが、杉本さんの視点。
私も同じ様な経験がある。フィリピンに対する戦後賠償の関連で、日本はフィリピン農村に電気洗濯機を大量に送ったのだが、水道も完備せず、電気も通じていない現地事情に疎かった。電気メーカーは、それなりに潤ったのだろうが、送られた電気洗濯機は野積みされ、無用の長物と化した。
戦後間もない頃だったからフィリピンの反日感情が強く、農村部の実態までは調査が及ばなかった事情は分からないわけではない。電気洗濯機よりも洗濯板を大量に送った方が喜ばれた、と言っても後の祭り。日本では洗濯板が姿を消し、三種の神器となった電気洗濯機がもてはやされていた。
イラクに対する本格的な援助は、治安の回復を待って始まるであろう。ここでも杉本さんの様な草の根の視点が必要になる。賠償も援助も一方では日本の国内企業が甘い汁を吸うために群がってくる。儲けの少ない草の根援助よりも大規模プロジェクトの方が魅力的となる。
しかし長い目でみれば、草の根援助を積み重ねて、その上で大規模プロジェクトに移行するプログラムが必要でないか。それでは外国企業にプロジェクトを奪われるという懸念もあるかもしれない。それでも良いではないか。中国をみれば分かる。十三億の民衆は、都市と農村の地域格差、豊かさと貧困の格差の中で真の援助を求めている。そこに視点を合わせることが、新しい日中友好の絆を結ぶことになる。

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