99 静寂な雰囲気で八月十五日を 古沢襄

最近の靖国論争には祀られている英霊たちが迷惑しているのではないか。靖国の杜(もり)に手を合わせたこともない連中が、あれこれ揣摩憶測して口角泡を飛ばしている。一度、早起きをして六時ごろでいい、拝殿に額づいてきたらどうだろうか。
昨年のことになるが九段会館で一泊したのだが、その日は予定がびっしり入っていたので五時起きして靖国神社に行ってきた。玉砂利を踏みしめて大村益次郎像あたりを通り過ぎると、右手の木立に人影があった。よく見ると思い思いに体操をしている。
都心でこれだけ静寂なところは無くなっている。小学校が近くにあったので春・秋の例大祭にはよくきた。飯田橋から靖国神社までの道の両側には屋台の店が並ぶ。日本歯科大学、私立暁星中学、東京市立一中(九段高校)を通り過ぎると靖国の杜が見えてくる。私には子供の頃から通いなれた道である。
私の父は靖国神社に祀られている。関東軍に送られた弘前第八師団が日本を離れ、玄界灘を渡った時に船上で「ああ堂々の輸送船 さらば祖国よ 栄えあれ」と一斉に歌って手を振ったという。
自分の妻や子供たちを守るための生還を期さぬ出兵であった。満州のハイラルで国境を越えてきたソ連軍と交戦し、多くの戦死者を出している。ソ連軍の捕虜となった日本兵はシベリア鉄道の貨車に乗せられて、バイカル湖に近いウランウデまで連行され、森林伐採の人夫として使われた。高齢兵士から先に倒れ、多くの命が失われている。
だから八月十五日を”終戦の記念日”と呼ぶ気にはなれぬ。「敗戦の日」なのである。生半可な平和主義者ではない。二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないという不戦の誓いを、敗戦の日を迎える度に心新たにしている。多くの遺族は同じ思いを、それぞれが抱いている。
靖国神社の拝殿に近づいたら、一人の老婆が手を合わせていた。一緒に並んで手を合わせた。「どちらから?」と聞くと近県の名をあげた。「村には息子の墓があるが、ここにきて手を合わせる時が、一番息子の傍にきた思いがする」と言葉少なく語って去っていった。
靖国神社とは、そういうところである。昼間には揃いの制服姿で肩を怒らして闊歩してくる行列に出会う。もっと静かにお参りができぬものか。死者は静かに永遠の眠りについている。
八月十五日になると「公式参拝ですか?私的参拝ですか」と愚にもつかぬ質問をするバカがうろつく。石原都知事が「下らぬことを言うな!」と一喝していたが・・・。首相、外相、官房長官は在任中は靖国参拝を自粛すべきだという奇妙な論法がまかり通っている。中国を刺激するからだという。
おかしな理屈があるものだ。日本は中国の属国ではない。不戦の誓いを新たにするために首相が毎年、靖国参拝していることを、時間がかかっても中国に分かって貰うしかない。
安倍官房長官が四月に靖国参拝したことが、閣僚間でいろいろと議論を呼んでいる。いいではないか。優れて個人の心の問題なのだから、それに任せるべきである。
昭和天皇が靖国参拝をしなくなったことが、いろいろ憶測を交えて取り沙汰されている。主権在民の世の中になったのだ。昭和天皇には昭和天皇の思いがあったのだろう。小泉首相や安倍官房長官が靖国神社に参拝することが、天皇に対する”不忠”と言わんばかりの非難は逆立ちしている様なものだ。静寂な雰囲気で今年の八月十五日を迎えてほしい。英霊を泣かせることだけはしないでほしい。

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