このところ何となく存在感が薄くなった古賀誠元自民党幹事長が共同通信社の講演で政局について語っている。福田元官房長官の擁立を目論んでいたのだが、ご本人が出馬しないと表明したので、与謝野馨氏の擁立を工作していたが、これも去就がはっきりしないから目下、手詰まりの状態。
しかし言っていることは一つの見識を示している。①国民の人気が後継首相の大きな条件という人がいるが、全く違う②リーダーと人気者は違う。国民的な支持がなければリーダーシップが発揮できない風潮があるのは不安だ③総裁候補は自らの理念と哲学で国家像を示すことが大切だ・・・という。この総論は正しい。
民主制は、あらゆる政治形態の中で一番優れているが、ともすれば、大衆迎合の衆愚政治に陥り安いのも事実。それをさせない様に古賀氏のいう原則論をいい続ける必要がある。
ところで古賀氏は福田元官房長官が総裁選に出馬しないことに触れて「空気が抜けた総裁選になってしまうと危機感を持っている」と述べた。ここに至ると私はオヤオヤと思ってしまう。たしかに福田氏は北朝鮮外交や中国外交で、小泉路線の批判者であったが、政治理念や政治哲学で自らの国家像を示しただろうか。私は寡聞にして知らない。
戦後の政治史を振り返ると経済優先・軽武装国家論を押し進めた吉田政治と経済重点から心の政治優先・日米同盟の強化を唱えた岸・福田政治は、明らかに異なった国家論を持っていた。大きくいって吉田政治と鳩山政治の違いがあったと思う。
田中政治と、その亜流政治は、いうなら吉田政治の延長線上にある。党内派閥的にいえば、田中派と大平派が推進母体となった。保守本流でありハト派集団ともいわれてきた。古賀氏は、この路線上にある。
ロッキード事件に端を発し、バブル崩壊によって非吉田政治の側に政権の主導権は移った。森・小泉・安倍と三代にわたって福田赳夫の系譜が政権の座を握れば、保守傍流でありタカ派集団の力が増すことになるだろう。
私は拉致問題が表面化したことによって、この動きが一気に加速されたとみている。靖国問題は日本の国内問題なのだが、中国や韓国が必要以上に批判してくると多くの国民は不快感を持って、より日本ナショナリズムを誘発する性質を帯びてくる。安倍人気は、このような構図から生まれている。
福田氏が古賀氏の後押しで総裁選に出馬する可能性は、最初から無かったのである。むしろ保守本流意識を持ち、ハト派集団を自認する谷垣財務相の方を、古賀氏は最初から後押しすべきでなかったろうか。少なくとも古賀氏の総論に立てば、この方が分かり安い。
時計の針が右に振れている現状では、谷垣氏が安倍氏を凌駕する可能性は少ないのだが、その迷いから福田支持を考えていたとしたら、総論と各論の乖離を感じさせてしまう。それでは古賀氏の存在感が、ますます薄れてしまうことになりはせぬか。
101 古賀氏が唱える国家像 古沢襄

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