自民党で森派会長を勤めることで、小泉政権を支えてきたと自負する森喜朗元総理大臣が産経新聞とのインタビューに応じ「小泉首相退陣後、私も森派会長を辞める」と語ったほか、党内の月旦評を重ねた(2006年8月5日付け)。
体が大きい割には慎重すぎるのがどうも、といわれる森さんだが、産経新聞は古巣のせいか、福田不出馬の経緯、総裁選の行方、安倍氏についてなどをかなり大胆に吐露していて、私は驚いた。
「福田さんが総裁選に出ると言ったことは1度もない。去年から福田さんは『はた迷惑なことだ』と言っていたし、私にはずっと『自分にはそういう気持はない』といってきた」
「6月末には『自分が出ると言ってないのに出ないと言うのも変な話だ』と。『それもそうだな』ということで7月になった。・・・21日の晩、自宅で(不出馬の)意思を表明したという経緯だ」
「他派閥の人が心の底から安倍晋三官房長官を、ということであれば大変ありがたいけど・・・党や仲間、国家のためじゃないな、個人の欲のためだな。そういう人たちだけでいいのかな、という心配はある」
「山崎(拓)さんにしても加藤(紘一)さんにしても心が揺れているのは、自分たちも(総理・総裁を)やりたいという未練があるんだよ。だから安倍君を阻止しないといけない。自分は出られないが、福田さんが出てくれたらつかまっていこうと。
加藤君にいたっては、言語道断だな。週刊誌を見ていたら『福田さんが出られないのは森さんのせいだ』と。わたしはいっぺんも止めたこともないよ。それになんで他人の家の者を表に出せといわなきゃならんのかな。・・・
谷垣君のために、命を張ってやるのが本当じゃないのかな。谷垣君は(森内閣当時)『加藤の乱』の時にいさめた、泣きながらね。それだけやってくれた男でしょう。・・・おれから言わせれば、自分がプロポーズしないで、好きな女が他のところに行っちゃったとケチをつけているのと同じだよ。あそこまで愚かになったかと思うと情けないね」
安倍氏について。
「僕は小泉純一郎首相の亜流ではいかんと言っている。改革はいわないといけないが、女性や民間人を無理やり入れた小泉首相の独断的な人事で、乱れたわけですよ、秩序が。努力したものが報われなかったりかったり、自分よりランクが下の若いものが閣僚になったり。
「みんなまじめに努力しているんだ。ただ当選回数を重ねているんじゃないんだよ。そういう人事をやって小泉だけが光って後はみんなただ働きさせられた。1つの政策ミスや1つの反対で首を切っちゃう。刺客を出す」
「まあ織田信長の小説の読みすぎだと思うな。昔のクレムリンじゃない。みんなバッタバッタ切り捨ててきた。そういうやり方をしちゃいかん。安倍君は小泉とまったくのイコールだとみられているからかわいそうなところがある」
「だけど総裁選で当選したら安倍イズムでやらなきゃ。私は安倍君に言っているんです。『もう小泉のやり方は忘れた方がいい』と。総裁選が終われば、ノーサイド、みんな仲良くやろうと呼びかければいいんですよ。
全員が奮起して気持ちよく戦えるようにしてことを安倍君は若いだけにやらないといけないのじゃないですか」
「次の幹事長もただ事ではない。重要法案山積で、これから勉強しますというわけには行かない。参院選で小澤一郎・民主党代表は徹底的につぶしにくるから、それに耐えうる幹事長でないと」
「公明党だけでなく創価学会とも連絡をとれる人でないと難局を乗り切るのは難しい」
「小泉首相退陣後、私も森派会長を辞める。私の後は私が決めることではない。・・・みんなでどうするか考えればいい」
この通りの内閣を作ると、時代は30年ぐらい逆戻りして、佐藤内閣や田中内閣のようになってしまうような錯覚に陥った。森内閣が1年しか保たなかった理由が実によく分かった。貴重なインタビューだった。(2006・08・05)
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