121 20ヶ月で収賄7億円、死刑 渡部亮次郎

中華人民共和国における官僚の収賄とこれに反発する国民の忌避行動こそは構造的な現象だと喝破してきたが、裏付ける恰好な報道があった。2006年8月10日付けで、産経新聞北京総局の野口東秀記者が伝えた。
結論を先にすれば「収賄 20ヶ月で6億6000万円 死刑」である。
日本にも、これだけの収賄が摘発された例は聞かない。それが清く貧しく美しいはずの中国で、どうして生ずるのか。政治が共産党で経済が資本主義という矛盾から生じた構造的な悲劇?喜劇?なのである。
この記事を掲載した中国紙『法制週報』はどのような意図の下にしたのだろうか、戒めのためだろうか、警告だろうか。後で述べる汚職官僚のリストを見ると「警告」。今止めたら罪には問わない!?
「収賄 20ヶ月で6億6000万円 死刑」となったのは河北省対外貿易協力局の元副局長。自動車の輸入に関して関係企業への割り当て配分の決定権を握ったことで、企業から袖の下を受領し続けた。
彼は1952年生まれというから54歳。4月26日、親族が用意したスーツを着て自らの刑執行用紙に署名した。死刑は薬物注射によるものだった。「新中国建国以来ワースト1の腐敗官僚」「全国記録」はかくて消えたが、根が構造的に残っている以上、犯罪は増える続ける。
外国から輸入する自動車の配分に第3者として共産党が介入するから事件が起きる。経済は資本主義なのだから配分は政治的にも自由にして競争させれば良いのだ。
それを共産党という政治が割ってはいるから、配分を受ける方は袖の下を渡して、多く、早く配分を受け取れるよう工作するわけで、犯罪は構造的だとはこの意味だ。尤も自由にすれば共産党という資本主義の邪魔者は排除されてしまうが。
処刑された元副局長は共産主義だから出世していた。1952(昭和27)年、河南省の極貧の家庭に生まれたが、3歳で両親が相次いで死去、満足に食事も摂れない日々だった。10代の頃は靴がなかった。
青年時代は極めて勤勉。高校卒業後、人民解放軍に入隊し共産党員に。中越戦争では栄誉を授与された。その功績で軍学校に入学、部隊では指導的立場になった。
35歳で軍人から河北省計画経済委員会に転職、積極的な仕事ぶりを評価されて出世し続けたが、92年、機械や電子製品などの輸出入弁公室の幹部に昇任してから収賄を始めるようになった。車の輸入で関係企業への割り当ての決定権を握るようになったからである。
「車1台ごとにカネが入り」ゴルフ漬けの毎日。子供をカナダに留学させ、高級車や高級別荘も購入した。しかし、根は貧乏人。「幸福な生活どころか受け取るカネが増え続け、ビクビクしていた。誰にも会いたくなく、遊びたくも無かった」
「僅か20ヶ月間で、4744万元もの巨額ワイロを受け取った。ロシアに逃亡中、自殺を4度に亘って図ったが、死に切れなかった」と供述した。
野口記者が国営通信社・新華社通信などから作成した「2006年の8月10日までに判決受けた官僚の汚職実例」は凄まじい。
● 河北省交通局元副局長=高速道路建設の入札で180万元を受領。懲役14年。
● 吉林省食品薬品監督管理局元副局長=医薬品企業の生産許可で関係企業から72万元受領、740万元の不明朗財産。懲役15年。
● 新疆ウイグル自治区元国土資源局地質探査処長=炭鉱関係の証明書などで物品含め191万元余を受領、262万元の不明朗財産。懲役14年。
● 江蘇省元交通局長=高速道路建設指揮部の幹部でもあり、不動産転売で、貿易企業、銀行などから118万元を受領。懲役20年。
● 四川省成都市元党委宣伝部長=高速道路開発企業のトップで証券監督の立場にもあった。投資企業の買収に絡む認可などで便宜を図り995万元受領。666万元の不明朗な財産。死刑判決。
<胡錦濤政権は蔓延する官僚の汚職に頭を痛めている。軍を含め全国で官僚を摘発。来年の第17党大会を前に信頼回復のため、汚職追放に全力を挙げている。>と野口記者は結んでいるが、贈収賄は共産党中国の構造的犯罪である以上、摘発が発生に追いつくわけがない。2006・08・13

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