124 政界釣りバカ日誌 渡部亮次郎

毎日新聞の名物記者岩見隆夫さんが2006年8月12日付けのコラム『近聞袁見』で、森派内で後継総裁候補を安倍晋三に絞るまでの森:小泉とのやり取りを人気映画シリーズ『釣りバカ日誌』の主人公にたとえてからかいながら的を射た解説をしている。長いが引用する。
<この約1年、総裁選をめぐるあれこれは、いまや国民的な人気映画「釣りバカ日誌」の世界と二重写しになっていた。
2人の主役、すっかり釣りにはまってしまった万年ヒラのサラリーマン、ハマちゃんこと浜崎伝助(西田敏行)と、ハマちゃんが勤める建設会社の初老社長、スーさんこと鈴木一之助(三國連太郎)やはり釣りに目がない。
スーさんとハマちゃんが織りなす釣りバカ珍道中、2人の間には<奇妙な友情>が生まれ、いちずにサカナを追っかける。
永田町のスーさんは、まぎれもなく森喜朗前首相だ。ときに怒りっぽいが、どこか好々爺(こうこうや)的な人情味がそっくりである。
小泉首相は万年ヒラの点を除くと、ハマちゃんのキャラクターに似ている。社業など眼中になく、やりたい放題の陽気な人気男だ。ハートをつかむワンフレーズもうまい。
さて、「釣りバカ日誌」永田町スペシャル--。スーさんが、
「ひとつ、タイ釣りでいこう」
と催促すると、ハマちゃんは、
「違う、違う。いまはヒラメの季節でしょうが。おれに任しといてよ」と従わない。スーさん、不機嫌になるが、釣りには一緒に行きたい。ハマちゃんは遠慮がなく、
「それじゃあ、こんどは別々に行こうか」
と突き放してみたり、
「スーさん、あんた、タイでもヒラメでも、本当はどっちでもいいんだ
ろ。釣れさえすればいいんだろ」
とからかったりする。スーさんはついにタイをあきらめ、ヒラメ釣りに同調する。2人の間にはたえず波風が立つが、面と向かえば、まあまあとなる。兄弟にも似た空気が芽生え、釣りを楽しみたいという共通の願いには勝てないのだった--。
小泉・森コンビが闘争の勝者である。安倍というヒラメを釣り上げるのに成功した。観客(国民)もメディアも、このコンビが演出し、盛り上げてきた福田康夫元官房長官との<安福戦争>に気を奪われていたら、突然、福田不出馬で幕が下りた。
なかなかの筋書きである。2人の共演を初めて目のあたりにしたのは、昨年8月の郵政解散前夜、例の<干からびたチーズ事件>の場面だった。
森は解散を止める説得に失敗し、メディアの前でビールの空き缶を握りつぶしながら、怒ってみせた。小泉とも絶縁か、と思われた。ところが、ほどなく森は、
「ぼくの演技がうますぎたかな。総理が『きょうは怒りでいってくれ』と言うものだから」 と内幕を語って、あぜんとさせる。
種明かしをしながら進行させるところも釣りバカ的で、幻惑を誘う。その後も森スーさんと小泉ハマちゃんは上手に演じ続けた。
とどのつまり、前・現首相の共演で、3人目の新首相を同じ一座から産み落とそうとしている。自民党史上、例のない珍事と言っていい。>
記者の古手は、缶ビール芝居で小泉:森の真意を見抜き、「安倍擁立で合意」「福田立候補不能」を見抜いた。元共同通信社常務理事古澤 襄(のぼる)氏がその最たる人である。ところが若い記者たちは、あれが芝居だったとわかっても、その意味するところを考えもしなかった。
岩見さんも、今になってこれだけの面白い解説をしてくださるなら、ごく早い段階で福田立候補(?)ぐらい書けたはず。どうして書かなかったのだろうか。案外、論理だけに頼る人が陥る穴は「老獪」という名のサル芝居なのかもしれない。
8月15日に小泉総理が靖国神社に参拝するか否かが永らく注目されていたが、これとても中国の意図、総理の足跡を考え合わせれば、決まりきった話であった。ここで参拝しなければ「人」としての小泉が廃(すた)る、と考えるのが小泉流なのだから、任期内の「8月15日」は当初から決まっていたはずだ。
偏差値教育を受けずに済んでよかった。この教育は知識は詰め込むが智恵はちっとも付かない頭脳を大量生産する。挙句、落ちこぼれは親や子供を平気で殺す。
故事、俗信、ことわざ、四文字熟語などに凝縮した「人間社会の真実」を知らないから、前車の轍を平気で踏む。前人の失敗と同じ失敗をすること、ですよ。
そこで私は2006年8月8日付の『夕刊フジ』に「ポスト小泉に望む』と題して以下のように書いた。
1.政治のスピードを緩めるな 政治記者を実は40年以上してきたが、国民の要望に対して自民党は5年遅れで応えてきたとの実感を持っていた。それが小泉総理になった途端、1年に縮まった。国民が政治を身近に感じ支持した所以である。
小泉氏はテレビをうまく利用したと批判されたが、常に国民に語りかけ、不満を感じ取ってきたと言う点では、1945年の敗戦以来、初めての総理大臣だった。後継者も、これだけは継承してもらいたい。
2.己の思いを遂げてほしい。二世であろうと三世であろうと、政治家になった以上、国民をどの方向に導くかの志は持ったであろう。そこで10年なり20年なり生きてみて覚悟した思いがあるだろう。それを具現化して欲しい。自信を以って力強く国民に語りかけて欲しい。国民を興奮させて欲しい。
3.身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 世論調査に迷うな。世論の通りの政治をするなら政治に思想や信条は要らないことになる。世論は常に国民の迷いだ。迷いを分析し、超えて導くのが政治である。
総理は己の信ずるところを堂々と行うべきである。世論調査を大いに参考にしても、数字に左右される必要はない。国民のために身は捨てる、との心構えがあれば国民は総理を信じて従いて行くはずだ。
4.田中角栄政治に戻るな 田中角栄に象徴される利益、利権の平準配分自民党政治が今日の国家財政赤字の原因である。津島派など小泉改革路線の見直し要求とは角栄政治への本家帰りを策し財政を私物化する以外の何物でもない.断固潰せ。
5.森喜朗氏の言うことを聞くな 彼こそは政界の談合屋。理想を追わず、常に欲望の平均値だけを追求する古い古い政治家の代表である。ご用聞きをしてはならない。
6.政治に機密性は重要だが、できるだけオープンな政治を目指した方が良い。特に野党対策。隠すより顕る。隠せば隠すほど露見しやすいし、露見した時の政権の受ける傷の方が大きい。森さんはTVを敬遠して失敗し、小泉さんは徹底的に利用して成功した。
7.恋々としてはいけない。嘗て福田赳夫総理は恋々として晩節を汚した。任期2年の約束を守っていればポスト大平は間違いなく福田の再登場であった。恋々とせず、は世間が、日本人が大切にしてきたモラルだ。〔元外務大臣秘書官〕2006・08・15

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