今日、九月一日に安倍晋三氏が自民党総裁選に立候補を正式表明する。安倍独走の状況は変わらないから新首相に安倍氏がなることは間違いなかろう。ここにきて国内のマスコミの安倍評価が二極分解の様相を呈している。
一つは安倍氏を極端な国家主義者と見立てて批判・掣肘を加える動きだ。戦前の軍国主義・国家主義に回帰する危険思想の持ち主と見立てている。それが民主党や共産党、社民党による攻撃なら政略として理解できる。だが保守的とも思える側から、この論調が生まれ始めていることに注目したい。
その一方で安倍氏の登場は自立した日本への一歩として期待する論調も少なくない。拉致被害に対して一貫して北朝鮮批判を加えてきた安倍氏のスタンスに共鳴する声の方が多数派を占めていて、これが根強い安倍人気となっている。
六〇年安保以来、国内の論調が二つに割れた現象を呈するのは久しぶりのことではないか。戦後の日本政治は軽武装・経済重点主義の吉田政治路線が主流であった。安倍氏の路線は明らかに異なる。だが、その自立した日本論は、まだ明確な指針がみえていない。これまでの安倍氏の発言をみていても具体性が乏しい。
日本のトップリーダーになる以上、安倍氏が描く将来の日本像をもっと鮮明にして国民の信を問うべきではなかろうか。それが曖昧であれば戦前回帰の国家主義者のレッテルを貼られて一人歩きを許すことになりかねない。拉致問題が表面化して以来、日本政治は右傾化していることは間違いないことだが、右傾化の定義そのものがムード的で曖昧といえよう。
それ以前の日本政治が左傾化していたのであろうか。少なくとも社会党の退潮をみているかぎり左傾化どころか全体として保守化の傾向にあった。見方によれば安倍首相の登場は、その保守化路線の延長線上にある。自立した国家論も、その延長線上にあるといった方が妥当ではないか。
そもそも戦後六十一年を経て、敗戦という高い代償を支払った日本が、戦前の軍国主義・国家主義に回帰することなどはあり得ない。その動きがあれば国民の厳しい批判を受けて、舞台から退場を求められるであろう。
憲法改正は、すでに過半数の国民が容認する空気となっている。平和憲法の理念を守り、時代の変化に合わせて条文の変更を加えることには異論があっても、保守化の進んだ日本政治の中で一つの大きな流れとなった。ただ、それを実行するだけの国会勢力を自民党が得ていない。民主党や公明党との協議を経て、妥協するのが現実的選択となる。これが戦前の軍国主義・国家主義の亡霊を呼び招くとは誰も思っていない。
自立した日本が単独で国家防衛を図ることは現実的ではない。北朝鮮の脅威にさらされているのは事実だが、国際的な連帯を強める中で国家の安全を図ることが唯一の選択肢になる。間違っても核武装などは考えるべきでない。この考え方は、すでに日本に定着している。軍事国家・日本もあり得ない選択肢である。
その政治理念を安倍首相が決まれば、自らの言葉で国民に語る説明責任を安倍氏は真っ先にとるべきであろう。それが「戦前の軍国主義・国家主義に回帰する危険思想の持ち主」という批判に応える道である。
156 二極分解の様相を呈するマスコミ論調 古沢襄

コメント