安倍政権の輪郭がみえてきた。まず安倍選対本部の「安倍応援隊」の本部長が柳沢伯夫氏(党税調会長=丹羽・古賀派)、本部長代理が町村信孝氏(前外相=森派)、事務局長が甘利明氏(政調会長代理=山崎派)。
副本部長は十一人。派閥横断の中堅・若手議員で作る「再チャレンジ支援議員連盟」の菅義偉幹事長(丹羽・古賀派)、超派閥の閣僚経験者による「シニア会」から大野功統前防衛庁長官(山崎派)、安倍氏に近い中堅議員から石原伸晃前国土交通相(無派閥)が入った。
すでに自民党の衆参両院議員の八割以上の支持を固め、都道府県連の持ち票も七割以上固めたといわれるので、党内的には安倍圧勝の体制が整った。中核となる森派は衆院議員六十人、参院議員二十六人で党内で第一派閥を形成しているが、各派の反発を招かないために突出した動きはみせない。第二派閥の津島派(衆参七十五人)、第三派閥の丹羽・古賀派(衆参五十人)、第四派閥の山崎派(衆参三十六人)、第五派閥の伊吹派(衆参三十二人)、第六派閥の高村派(衆参十五人)・二階派(衆参十五人)からも幹部クラスを副本部長に当てる気の使い方をみせる。
ここで注目しておきたいのは安倍ブレーンと目される中西輝政京大教授、伊藤哲夫日本政策センター所長、八木秀次高崎経済大学教授ら三人の存在だ。小泉首相は国家理念については無頓着で郵政民営化に政治生命をかけたが、安倍氏は国家理念を重視する保守イデオロギー派。ブレーンの中西輝政氏らは「日本の精神文化の復興」を唱え、新政権に与える影響は少なくない。「文化・伝統・自然・歴史を大切にする国造り」を新政権の基本的な方向性の一つとする安倍氏の登場は、戦後政治史のうえで一つの転機を迎えることになるかもしれんない。
中西輝政氏は日本の国際政治学者で、京都大学大学院人間環境研究科教授。親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあっても、国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、「押し返す保守による日本の再生」を主張する。日本を海洋国家と捉え、英米の国家運営を模範とすることを説く。安倍晋三氏のブレーンと目される。専門は、国際政治学、イギリス史、文明論。
大阪府生まれ。大阪府立北野高等学校、1971年京都大学法学部、1974年同大学院法学研究科修士課程修了。1977年までケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ大学院で国際関係史を学ぶ。 京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授を経て、1995年より現職。八木秀次氏と共に「日本教育再生機構」の設立に代表発起人として関与。<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より>
伊藤哲夫については「歴史・文化塾」における「作られた”戦後日本”像」の講演が参考になる。
戦後、GHQによって国家改造され意識が根本的に入れ替えられた結果、日本人は、実際に戦後の人たちが持っていた当時の戦後日本像とは明らかに違う像を抱かされた。そして押し付けられたのはGHQが作った日本国憲法だけではなく、憲法が正当に作られたという物語も押し付けられたのである。
当時は言論統制があり、事実を知る日本の関係者も口外してはならなかったため、占領軍が本国へ報告したレポートの「日本の憲法はこんなにも正しい」という翻訳内容が一挙に拡がり、それは今日の教科書にも大学の憲法の教科書にも全てに徹底している。
また、ポツダム宣言は無条件降伏ではなく、「我らの条件、左の如し」として有条件降伏であることを謳っており、日本政府が日本国軍隊の無条件降伏を宣言したということであった。しかし、占領軍はその後、日本国民がおとなしく従っていることをいいことに、9月6日に新しい通達でポツダム宣言の解釈を変更し「無条件降伏」とした。
八木秀次氏は高崎経済大学地域政策学部教授、「新しい歴史教科書をつくる会」元会員・第3代会長。専門は憲法学、政治思想。慶應義塾大学総合政策学部講師。
広島県尾道市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、同大学大学院政治学研究科で小林昭三に師事し、新田均・竹花光範は兄弟子にあたる。同大学院博士課程中退後、文筆活動を開始する。2002年、第2回「正論新風賞」受賞。
保守主義の立場からマルクス主義思想を徹頭徹尾批判する発言で有名。またジェンダーフリーや夫婦別姓も厳しく批判し、教育分野においても積極的に提言する。発言の趣旨、その根拠の信憑性については賛否両論がある。
皇位継承問題に際しては遺伝学に言及して、“万世一系の皇室に男系による継承が重要なのは、男系男子だけが神武天皇のY染色体を継承するため”という、いわゆる「Y染色体説」などを早くから提唱し、現在では男系継承維持論を代表する理論家の1人となっている。ただし遺伝学の専門家などからは「Y染色体説」に対する批判も多い。<フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より>
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