NHKの深夜放送「ラジオ深夜便」は今や大変な人気番組になったとマスコミでも話題になっている。眠れない時や早すぎる明け方にスイッチを入れるとクラシック音楽や昔の流行歌、民謡、落語などが、年季の入ったアンカー(ベテランのアナウンサー)の司会で静かに流れてくる。始まって既に十数年になる。
ところで気になるのはアンカーの皆さんの歌謡曲についての知識の無さである。藤圭子が1970年(昭和45年)大阪万博の年、三島由紀夫自決の年に歌った「圭子の夢は夜開く」という歌がある。
作家の五木寛之が褒めちぎって「これは怨みの歌、怨歌だ」と書いたものだ。とにかく歌われた。園まりも、ちあきなおみも「なおみの夢は夜開く」を歌った。だから圭子の夢は夜開くは圭子の「夢は夜開く」とアナウンスすべきであって「圭子の夢は」夜開くではない。
圭子のなおみのそれぞれの「夢は夜開く」なのである。ドイツで暮らしたことのある人と高い位に昇って定年になった共に女性元アナウンサーが同じ誤りを放送していた。
特にドイツ生活女史はトワ・エ・モアのペアを夫婦で無いのに夫婦にしてしまって、2週間後に謝っていた。彼女はまた建国記念「の」日の「の」ははじめは付いていなかったと放送して怒られていた。
あの「の」は、あれが付いたが故に国会で成立したという大変な「の」なのである。自民党はそれまで紀元節復活を狙って建国記念日法案を何度も何度も出し、ことごとく社会党の反対で封殺された。
それを「の」を入れることによって打開したのは衆議院副議長(自民党所属)園田直(そのだすなお)と社会党国対委員長の石橋政嗣である。そういう歴史的な「の」なのであるから「はじめは”の”がなかった」というのは事実として存在しない話だ。
時々聴いていると、歌謡曲は戦前のものまで放送している。だから60前のアンカーなら聞いたことも無い歌を紹介しなければならない例は幾らでもあるのは当然である。「愛染かつら」を”あいそめかつら”と読みたい時もあろう。しかし”あいぜんかつら”なのである。
リスナーたる老人たちに馬鹿にされないためには事前調査とか下読みとかが欠かせないであろう。それなのに少なくとも「日本の歌 心の歌」(午前3時台)のおさらいをしてから本番に入る人は殆ど無いようだ。
現役のアナウンサー時代ならそれでも良かった。読む原稿や台本は記者やディレクターが下調べをし、振り仮名を予めつけてくれた。ところがアンカーとなると歌の題名から歌詞の内容に至るまで全責任を独りで負わなくてはいけない。それだからアンカー(司会者)という名を考えて自分たちで付けたのではなかったか。
そういいながら下読みや下調べを怠ると言うのでは話が違うのではないか。たかが歌謡曲と言うなかれ、深夜便のいわば命ではないか。
深夜便の延長で東京・代々木の古賀政男記念音楽博物館ではNHKが関連した催物をやる。評論家と言っても民放で歌謡曲のディレクターを長いこと務めた男性を講師にして毎月1回、2年間、歌謡曲の歴史を紐解く会があって、必ず参加していた。
その模様は編集されて深夜便で放送もされていた。ところが終わりごろ近くなってぷっつり行かないことにした。鶴田浩二は特攻隊か否かで納得のいかないことを聞いたからである。
生前、鶴田は大東亜戦争で特攻隊として敵(アメリカ)軍艦に体当たりして死ぬべきところ、俺は生き残ってしまった身だ、仲間に申し訳ないといろいろなところで言い続けた。それに対して特攻隊の生き残りたちは本名(小野栄一)を探しても名簿には存在しないことを明かしつつも大声は出さなかった。
またまた引いて失礼だが、私の仕えた故・園田直外務大臣は明らかに特攻隊生き残りだった。昭和20年8月13日だかの夜、千歳から飛び立って体当たりすべきところ天候不良のため飛行は17日に延期されたが、15日に敗戦と決まったため生き残って”しまった”といっていた。その園田氏は鶴田は特攻隊には確かにいなかった、と断言した。
鶴田氏はそれでも言い続けたため、その死の床に臨んで長女の方が真偽を追及したところ、本人が嘘と認め、ご長女はその顛末を新潮社の月刊雑誌「新潮45」に連載した。数年前だった。しかしなぜか世間の話題にはならなかったが、私の脳裏には深く刻まれた。
それなのに例の評論家氏は「鶴田は特攻隊の生き残りだった」と番組の中で解説したので、自宅に電話して「間違いではないのか」と質したところ「ご本人から直に聞いた」といって譲らない。
「あとでご本人が死の床でご長女に嘘だったと言ったと雑誌に出ていた」と言ったら「いずれは特攻隊員になるはずだったのだ」と言って逃げた。いずれを付ければ、あの時代、全国民が特攻隊員だったよ、と悪態をつくのはやめて、以後参加を止めた次第であった。
人気商売とはこんなものかも知れない。鶴田浩二の経歴ひとつとってもこれだけの問題がある。ましてドラマとなるともっと問題と言うか、作り事の中にさらに作り事があろう。
たとえば「おしん」だ。冒頭、親子の別れに際して、おしんが父ちゃん母ちゃんと叫ぶが、当時、口減らしのために幼子を奉公に出すような東北地方の貧しい農家で、父や母を父ちゃんだの母ちゃんだのと呼ぶ農家は絶対無かった。
地主階級でもそう言ったかどうか怪しい。橋田ドラマとしては、父ちゃん母ちゃんの真実を書くと、都会の人には絶対判らないから、書けない。だから冒頭から嘘で始めるしか無かったわけだ。とするとドラマのすべてが信用できなくなる。
圭子の夢から話はとんだところへ飛んでしまったが、NHKが国民の放送局であろうとし続けるなら、歌謡曲に対する深夜便アンカーの態度は改めなければならない。
あくまでも深夜6時間の長丁場に全責任を持たなければならないアンカーマンなりアンカーウーマンなのだから是非、下調べとか、読む投書の下読みとかを欠かすべきではない。プロなら当然の話だ。(了)2006.8.28
181 圭子の「夢は夜開く」 渡部亮次郎

コメント