187 北一輝や北昤吉のDNA 古沢襄

もう二十数年前のことになる。福岡支社長になって博多に赴任することになったので、西荻窪の丹波哲郎邸に行った。貞子夫人に別れの挨拶に行ったのだ。奥の座敷で、しばらく話をした。「麻雀のメンバーを探さなくてはね」とおどけた顔をみせた後「丹波哲郎をいたずらに安く売ることはしたくない。役欲しさに頭を下げさせたくはない」と言った後、私に政界の話を根ほり葉ほり聞きたがった。
貞子さんには北一輝や北昤吉という政治家の熱い血潮が流れている。丹波哲郎はすでに大俳優の風格を備えていたが、貞子さんは夫を政界に転身させたいと思っているのかと何となく感じた。アメリカのレーガンの例もある。
博多に赴任して一年たった頃であろうか。講演旅行で丹波哲郎が博多にきた。西日本新聞社の最上階にあるレストランで食事をとりながら「政界に打って出る気はないの」と聞いたことがある。「うん」と言って丹波哲郎は否定はしなかった。そのことが、あったので森首相に話をしたら早速、森・丹波会談があったのだが、ご本人は婉曲に辞退したようだ。もう政治家に転身するには、年齢をとり過ぎているということであったのだろう。貞子さんも亡くなっていた。
今になって思うと貞子さんは、もうひとつのことを言っていた。「貴方のお嬢さんを息子の嫁に貰おうかしら・・・」。息子のギル君・丹波義隆は、まだ俳優の卵であった。私は冗談だと思って、軽く受け流して丹波邸を辞去した。貞子さんはギル君が俳優として、ある程度まで育ったら、政治家の道を歩ませたいと思っていたのではなかろうか。ギル君の身体には、まさしく北一輝や北昤吉の熱い血潮が伝わっている。それが眠っているだけのことだ。
俳優やスポーツ選手が政治家になるのは反対ではない。政治家も俳優もスポーツ選手も大衆を惹きつける何かを持っている。若い時に俳優やスポーツ選手で名をあげ、政界に転身すれば、下手な二世議員よりも伸びる可能性がある。参院議長の扇千景氏などは、その好例ではないか。一芸に秀でたものは、すべてに優れた素質がある。
ましてやギル君は北一輝や北昤吉のDNAが伝わっている。それが眠っていて、本人が気づいていないだけのことである。これからの日本は自立した精神復興の時代を迎える。改革のスピードも緩めてはならない。一人よがりにならず、大衆に根ざした政治家がいくらでも必要な時代を迎えた。多分、貞子さんが生きていたら「やってみなよ」と後押ししたのでなかろうか。

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