この一、二ヶ月間、北朝鮮の金正日亡命説がいくつか入ってきている。いずれも風評情報やネット情報ではなくて、かなり確実な筋からの情報。北朝鮮で何かが起ころうとしているとみた方がいい。
一九九〇年代初頭に米国は北朝鮮の金王朝による支配は十年と持たないと分析していた。なかにはルーマニアのチャウシェスク大統領と同じ運命を辿ると予想する向きも後にでている。だが、この分析も予想も外れて、金正日国防委員長は権力の座を守ってきた。庶民の困窮をよそに軍部と公安の力で金王朝支配が続いたことになる。
北朝鮮の権力構造を握っているのは、労働党でも官僚グールプでもない。表面に出ないが軍部が掌握している。軍部が金正日国防委員長に忠誠を誓い、モスクワと北京が軍事・経済支援をすれば、金正日支配が続く。これが、これまでの構図であった。
しかし、ここにきて様子が変わってきた。北朝鮮による核開発とミサイル発射によって、国際的な非難が高まるにつれて、さしものロシアや中国までが北朝鮮の暴発を押さえにかかった。米国は北朝鮮の偽札製造・流通に対する捜査、麻薬、偽造薬品や武器取引のための資金を凍結し、北朝鮮の資金ルートを封じ込めている。
北朝鮮が海外に秘密口座を持つ国は、中国、シンガポール、ロシア、ベトナムなどだが、マカオ口座の凍結は北朝鮮経済に深刻な打撃を与えている。加えて日本は、安倍政権の誕生によって一ランクあげた経済制裁に踏み切ろうとしている。
国営朝鮮中央通信によると、平壌で開かれた建国慶祝式典で金永南(キム・ヨンナム)・最高人民会議常任委員長は「偉大な金総書記を中心に全党、全軍、全民の一心団結を固めよう」とあいさつ、米国とのの対決を強調して団結を訴えたが、それだけ北朝鮮は孤立化を深め危機的状況にあることを示している。
残された道は二つ。ABCD包囲網によって戦略物資を閉ざされた戦前の日本が、勝算なき戦争に突入したように、北朝鮮が三八度線を越えて韓国に侵入するシナリオ。韓国はこれを一番怖れている。このシナリオを怖れているのは韓国だけでない。北朝鮮が軍事敗北してしまえば、ロシアと中国は米国と国境を接して新たな緊張を強いられる。金正日の暴発だけは避けたいと思っているに違いない。
もう一つのシナリオは金正日に代わる親モスクワ・親北京軍事政権を作って核開発を凍結し、国際的な非難をかわすことであろう。金正日国防委員長の身柄をモスクワで預かるか、北京で預かるかは、ロシアと中国の駆け引きになる。各種情報をみていると、このシナリオがすでに動きだした兆候がある。いずれの場合でも亡命という言葉は使われない。モスクワか北京の病院に治療のために長期入院した形をとると思う。
このシナリオは北朝鮮軍部の協力なしには実行不可能である。金正日国防委員長の冒険的失政は明らかだが、北朝鮮建国以来、金日成主席を国父として祭りあげてきた。その後継者・金正日をチャウシェスクと同じように処刑するのは自己否定になる。また、このような事態になれば北朝鮮は混乱状態に陥る。
先頃、ドイツ在住のクライン孝子さんが、ロシア系外交官から「金正日不在の状況にあり、実権はマルキシズムでコチコチ頭の古参軍人の手に掌握されている」という情報を得たと言っていた。
この情報は三つの面で注目すべき情報価値がある。①風評情報でなくロシア系外交官のストレート情報であること②亡命という言い方を避けて金正日不在の状況(病気入院を含めて)という言葉を使ったこと③そしてマルキシズムでコチコチ頭の古参軍人が実権を握っていること・・・。この情報が北朝鮮による日本海にミサイルを打ち込んだ後にもたらされた点にも注目したい。
金正日国防委員長がすでに亡命したか、どうかは、あまり問題ではない。亡命したとしても、モスクワや北京はできるだけ秘匿するであろう。さらには亡命というあからさまな言葉は使わない可能性がある。問題はモスクワや北京が、その方向に動きだしたか、どうかに懸かっている。私はすでに、その兆しがみえたと思っている。クライン孝子さんの情報は、ロシア側の見方として興味があった。確度が高いと判断した。少なくともモスクワは金正日を受け入れ、ロシアの息がかかった軍事政権への権力委譲を望んでいる筈である。
同じことを北京も考えているに違いない。このところ北朝鮮に対する食糧援助、経済援助は中国が果たしてきている。北京に金正日を受け入れ、中国の息のかかった軍事政権を望んでいると思う。北朝鮮が共産主義国家の看板を掲げているかぎり、それを放擲したロシアよりも中国の方が、北朝鮮の宗主国だという意識がある。
ここで注目すべきは、北朝鮮軍部の内部構造ではないか。七月十三日の「杜父魚ブログ」で「北朝鮮軍部の権力構造」と題する記事を書いたのだが、それを改めて要約してみる
<私は久しく北朝鮮のナンバーツウは金永南(最高人民会議常任委員長)ではなくて、趙明録(共和国国防委員会第一副委員長)だと唱えてきた。北朝鮮ウオッチャーの松井茂氏も同じ見方をしていた。外務省は金永南説、だが公安筋には趙明録説がある。
北朝鮮の権力構造の実態は謎のヴェールに包まれている。だから日本の朝鮮総連や韓国のKCIA(安全企画部)の情報に頼るところが大きかった。あとは軍事パレードで姿を現す要人の位置から、序列を推理する程度だ。
しかし、ある日、突然に要人が姿を消す。その最たるものは、若手軍人のホープといわれ最高の地位にあった呉克烈(人民軍総参謀長)が解任され姿を消した事件である。1988年2月のことである。
また朝鮮総連の実権を握っていた実力者・金容淳も突然、姿を消して謎の交通事故死を遂げている。日本の政界は与野党を問わず金容淳と太いパイプを持っていた。欧米外交筋でも金容淳は高く評価されている。酒を好み、女性にもてて、金正日総書記のパーテイ友達だった金容淳が、何故、失脚したのか。今でも謎となっている。
金正日には軍歴がない。万景台革命学院の出身である。弟の金平日は金日成総合大学を卒業後、金日成軍事総合大学を出て軍将校となり、若手将校の間では人望があった。金日成から権力委譲が行われるに際して、凡庸な金正日よりも軍出身の金平日が選ばれるという観測が欧米筋からでたことがあった。
金正日は日夜、不安に駆られていたのであろう。金正日の生母は金正淑。金日成と抗日パルチザンで戦った同志でもあり、狙撃の名手ともいわれている。だが、すでに亡くなり、後妻の金聖愛が金日成の寵愛を得ていた。金平日は金聖愛の子。腹違いの弟に後継者の座を奪われる危機感を持ったと思う。
だが、欧米筋の観測は見事に外れた。金正日を後継者に推す強力な助っ人が現れた。金正淑と一緒に抗日パルチザンで戦った趙明録、白鶴林が金正日擁立を鮮明にしたのである。私は軍内部の権力抗争があったと解釈している。急速な軍部の若返りに反発した抗日パルチザン世代が、金正日擁立によって若手軍人の台頭を押さえにかかったとみるべきではないか。
テポドン1号発射後の1995年9月5日に最高人民会議が行われた。テポドン騒ぎ一色となった日本の新聞・テレビは、このことを伝えていない。この会議こそ北朝鮮の権力構造を大きく変える出来事であった。
ここで軍がすべてに優先する決定が行われ、金正日は共和国国防委員長になった。会議の議長となった金永南は「共和国国防委員長は、政治、経済、軍事を領導する」と宣言している。五年前に小泉首相が訪朝した時の金正日の肩書きは総書記ではない。共和国国防委員長だったことは、当時の新聞を見れば分かることである。
この共和国国防委員会こそが北朝鮮の最高指導機関になって、その第一副委員長が趙明録。私が趙明録こそが、北朝鮮のナンバーツウという根拠はそこにある。趙明録は満州生まれ、八十四歳になる。空軍の出身。人民軍総政治局長という軍の目付役でもある。体調を崩しているという情報があって、北京で治療したともいわれる。
発足当時の共和国国防委員会は金正日のほか九人のメンバー(軍人七人、文官二人)で構成されたが、目立つのは趙明録ら抗日パルチザン世代が多数派になっていることだ。それだけに高齢化が否めない。
①趙明録の下に二人の副委員長がいた。②金鎰喆(人民武力相)と③李勇武(次帥)だが、金鎰喆は抗日パルチザン時代に少年兵だったという。海軍出身者が人民武力相になったのは異例といわれる。李勇武も抗日パルチザン世代。政治将校の出身。金鎰喆は2003年の改選期に、廷享黙に副委員長を譲り、平(ひら)の委員になった。粛清されたわけではないが、序列が金英春の下になった点が気になる。
趙明録、金鎰喆、李勇武以下を序列でみれば、④金英春(人民軍総参謀長・抗日パルチザンの参加は不明)⑤廷享黙(文官、金属・機械部門の責任者)⑥李乙雪(金正日護衛総局長)は抗日パルチザン世代。護衛総局は首都防衛師団の別名である。三万五千の兵力を持っている。
李乙雪は2003年の改選期で退陣している。護衛総局長も解任されたので、抗日パルチザン世代が高齢化し、世代交代の象徴的な人事ともいわれている。軍元帥の階級章をそのまま維持したままなので粛清ではなかろう。
ここで注目すべきは金永春ではないか。金正日のお気に入り、ロシア・モイセーエフ国立アカデミー民俗舞踊団の公演では、金正日と並んで鑑賞する姿が目撃されている。
また延亨黙は副委員長に就任したが、2005年に死去。現在は副委員長が李勇武の一人となった。
⑦白鶴林(人民保安相)は、趙明録と並んで金正日擁立の功労者。抗日パルチザン世代である。しかし2003年7月に人民保安相を解任され、表舞台から去った。残ったのは「金と酒を好み、無能で現実感覚もなく、これ以上の出世は期待できない」という悪評。ここでも抗日パルチザン世代の後退をみることができる。
⑧全秉浩(軍需担当書記)文官である。金正日側近の一人。⑨金喆万(第二経済委員長)抗日パルチザン世代で軍人。金正日夫人の金永淑を金正日に紹介したといわれている。ソ連軍事アカデミーの出身だが、2003年の改選期で姿を消した。
今の共和国国防委員会の序列は、委員長・金正日の下に① 第一副委員長・趙明禄 ②副委員長・李勇武、委員は③金永春④金鎰喆⑤全秉浩⑥崔竜洙⑦白世鳳となっている。>
ここで忘れてはならないのは、建国以来、北朝鮮人民軍はソ連の支援で建軍され、軍官の高等教育はソ連の各種軍学校で行われてきた歴史である。金日成総合軍事大学での必修外国語はロシア語。抗日パルチザン世代はいずれもソ連で軍事教練を受けて、実戦に参加している。北朝鮮人民軍の戦車などの装備は、いずれもソ連製。金正日国防委員長がロシアを訪問した狙いの一つは、旧式化したソ連戦車を新式に更新するトップ交渉にあったともいわれている。
これに対して中国は朝鮮戦争で義勇軍として参加して、多くの戦傷者を出して以来、北朝鮮人民軍の若手将校から信頼を集めてきた。ただ、中国人民解放軍そのものが、兵器・装備の近代化が遅れていたため、北朝鮮人民軍に新式兵器を提供する関係には至っていない。朝鮮戦争で若手将校だった世代が、今や軍部の中枢にでてきていることは疑う余地がないのだが、抗日パルチザン世代の趙明録ら高年齢層が依然として発言力を持っているのではないか。今は抗日パルチザン世代から朝鮮戦争世代に移る過渡期にあるといって良い。
趙明録は金日成死去後の後継者争いで金正日の後見人として力を発揮している。趙明録の意向を無視して金正日追放はあり得る話ではない。ただ気になる情報がある。ソ連派と目されていた趙明録がモスクワではなく北京の病院で治療を受けていることである。趙明録がコチコチの共産主義者であることは言うまでもない。ソ連からロシアに変わったのを境にして中国寄りになった可能性も否定できない。そうなると北京説が有力になる。謎の秘密国家であるだけに北朝鮮軍部の動向も今ひとつ分からないというのが正直なところである。
197 乱れ飛ぶ金正日亡命の噂 古沢襄

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