安倍政権の出発に当って幹事長と官房長官の予測を完全に的中させたのは弱小わが産経新聞だけであった。天晴れ(あっぱれ)だった。
経営が楽でないためか夕刊を止めて久しい。別に『夕刊フジ』があるといえばあるが、あった夕刊をやめてしまった事は事実である。月ぎめから1000円の値引きをしたので、当時の社長が読売のドンから苛められたという話を聞いた。読売は200円しか引かない。
そこで政治部はスタッフの数も他社に劣るに違いない。それなのに読売、朝日、毎日、日経がやれない特種を25,26と連日に亘って放った。余程優秀な記者が居なければこういう快挙は打ち立てられるものではない。
まず2006年9月26日(当然、朝刊)「幹事長 中川秀直氏 きょう3役決定 麻生外相は留任」と打った。確定的に打った。最大発行部数を誇示する読売新聞は、なんと沈黙。「二階氏 選対責任者に」とあさってのことを言って逃げた。
産経の先輩はメルマガで「麻生幹事長説」を流していた。他社も似たりよったり。ところが26日に至り産経は「官房長官 塩崎氏 副長官に元官僚・的場氏」とやった。特に的場氏には仰天した。
これまた「読売」はちゃらんぽらん。官房長官が「拉致」を担当すると大書(ゴチック)しているが、「だれが官房長官になるのか」は当日の未明になっても確定的な情報をつかめなかったらしく、1行もない。
其処へ行くと産経は「塩崎」と断定した上で官房副長官の事務担当が、これまでの旧内務省関省の事務次官をもってくることにケリをつけ、旧大蔵省出身で、しかも10年も前に霞ヶ関を去った72歳を民間から持ってくるとすっぱ抜いたのである。
旧内務省関係省とは厚生労働省、総務省、警察庁、国土交通省、環境省である。これだけの役人が戦前は「内務省」として君臨していた。知事もここから「派遣」され、任期が来れば本省の課長に栄転したものだ。だから進駐してきたマッカーサーは内務省を封建日本の象徴と決めて「解体」に取り掛かった。
中曽根康弘総理、後藤田正晴官房長官、みな内務官僚出身なのである。
だが、さすがに内務官僚、徹底的に抵抗した。死んだ草柳大蔵さんか誰かがその経緯を本に纏めたものだ。それぐらい内務官僚は力があり団結力が強かった。
その中で厚生省は戦前に独立していたが、内務省意識が最も色濃く残った官庁で、戦後も歴代内閣官房事務次官(現副長官)は殆ど厚生省から出ていた。内閣参事官も厚生省からだった。記憶では大蔵省(現財務省)に渡ったことは1度もない。
それが今回、安倍内閣ではじめて「元」とはいえ旧大蔵省に官房副長官が渡ったのである。安倍氏の政策の柱のひとつである「再チャレンジ推進」の核になってきた的場順三氏は大蔵省から転じて元国土庁事務次官をつとめた。これは亡くなった晋三氏の父・晋太郎氏の人脈そのもの。それを潰さずに引き継いだのが、いかにも安倍氏らしい。
的場氏は京都大学出身。大蔵省では傍流を歩かされ、熊本県副知事もやらされた。最終的には省外に出されて官僚を終えた。それが72にもなって官房副長官になって還ってきたのだから財務官僚は内心複雑なものがあるだろう。
特種を連発した産経新聞政治部は、以上のような昔を知ってか知らずか、26日の特種を次のように結んでいる。
「安倍氏は今年1月に発覚した上海総領事館職員の自殺事件への対応などをめぐり、二橋正弘官房副長官に不信感を持っていたとされる(知っていて安倍長官に報告しなかった=渡部註)。
皇室典範改正や男女共同参画法案などを推し進めてきた旧厚生省出身の古川貞二郎氏につながる官僚人脈を断ち切りたいとの思惑もあるようだ」。産経のそれこそぶっちぎり完全勝利である。おめでとう。
ニュース・ソウスの秘匿は報道従事者の権利であり義務である。特種をなぜ連発できたかは、小生の履歴に照らして聞くだけ野暮というものだ。
それなのに産経を取らないのは折込広告が朝日より少ないからだと東京・杉並の主婦。私は川向・江東区在住に誇りを持つ。2006・09・26
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