亡くなった朝日新聞の石川真澄氏とは仙台で賭けだし記者時代を送った仲間意識がある。ともに政治記者となり疾風怒濤の六〇年安保を潜り抜けてきた。私は権力の座を目指す政治家たちの人間模様に興味を持ったが石川氏は違っていた。
仙台時代にはおでん屋・三吉(さんきち)で秋田銘酒の新政を飲みながら書生論を闘わせたものだが、少し斜に構えて「そうですかね。僕は違うと思うけど・・・」と必ず前置きがあって石川流の議論を吹っかけてきた。
あまり知られていないけど石川氏は名文家。とても大学を出たての新米記者とは思えない文章を書いた。県版に「特車のお洗濯」という絵解き記事を書いたことがある。春がきて自衛隊の戦車を川で洗う一枚の写真に説明文を書いたのだが、美しい詩のような文章であった。
その時以来、石川氏の文才には敬意を払ってきたが、政治部時代にはドロドロとした政界ドラマには一歩身をひいて眺めている。「斜に構えているな」と私などは揶揄したこともある。「名文家はどこにいったの」と皮肉ったこともある。
一九八四年のことになるが石川氏は岩波新書「データ戦後政治史」を出した。豊富なデータを駆使して、戦後の衆参両院選挙の数字の山から戦後政治の政争と民意の動向に光を当てた。冒頭に「歴史では数が大切です」というE・H・カーの言葉を掲げた。
その後、一九九五年に岩波新書「戦後政治史」(二〇〇四年に改訂・新版)を出しているが、その度に「読んでよ」と本を貰った。いずれもデータに重きをおく石川氏の姿勢が滲みでているが、人間模様に重きをおく私との間には少し距離がある。読後感は正直にそれを伝えたが、石川氏の労作には敬意を払って影響を受けた。
その石川氏と意見がまったく一致したのは選挙制度であった。私は小選挙区制度は民意を正しく反映しないと思っている。死票があまりにも多く出るからである。したがって政治改革の名の下に小選挙区制度が導入された時には、三人区の中選挙区制度を唱えて反対の立場をとった。石川氏も同じ見解に立ったが、政治改革というポピュリズム的風潮の中で少数派になった。
昨年の総選挙で郵政改革が世論の支持を得て自民党が圧勝したが、郵政改革の嵐は日本政治の根幹を揺るがすものだったろうか。刺客とか造反というポピュリズム的風潮に流された面が否めない。郵政改革とは財政改革の一つなのだが、その財政改革に道筋がまだ不透明である。石川氏が生きていれば何と言うであろうか。
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