テレビ朝日の報道ステーションが昨夜、八日の番組で丹波哲郎の亡妻貞子さんの献身ぶりを伝えていた。先週のことになるが、報道ステーションのデイレクター氏から九年前に丹波哲郎が出した「貞子抄」を借用したいと申し入れがあった。
丹波哲郎が亡くなって間もなく同じテレビ朝日のワイド・スクランブルのデイレクター氏が茨城県の拙宅まで訪ねてきた。「貞子抄」は九年前に丹波哲郎が亡妻を偲んで、なれそめから亡くなるまでの赤裸々な想い出を綴った小冊子。
貞子さんの葬儀に駆けつけた人たちの香典返しに添えて数百冊が贈られている。芸能界や芸能ジャーナリズムにも数多く配られているが、何せ小冊子なので現存するのは私の手元に残る一冊なのかもしれない。
この小冊子には私の想い出が詰まっている。福岡支社長に転出するまでの一年半ぐらいの短い期間だが、毎週の様に西荻窪にある丹波邸で家族麻雀を楽しんだ。メンバーは丹波夫妻、貞子さんの実兄・大蔵敏彦氏と私。半身不随の貞子さんは足が動かなかったが、両手を素早く動かして麻雀はいつも彼女の一人勝ち。
貞子さんと私の女房は従姉妹。その縁で家族麻雀のメンバーに加えて貰った。最初は半身不随の貞子さんを労る気持ちが強かったが、切り炬燵の麻雀台に座って勝負となるといつしか本気になって貞子さんに歯向かった。私も麻雀には多少の自信があったのだが、どうにも勝てない。丹波哲郎は綺麗な清一色(ちんいち)しか狙わないから組みし安かったのだが・・・。
実兄の大蔵敏彦氏は弁護士。丹波哲郎は「義兄は日本一の弁護士」と自慢して、エッセイにも書いているが、これには理由がある。正義感が洋服を着て歩いている様な人物だったが、島田事件という”えん罪事件”で無罪をかちとった弁護士といえば記憶している人もあるかもしれない。
島田事件はすでに風化しているが、昭和29年3月10日、静岡県島田市の青果商・佐野さんの長女、久子ちゃん(当時6歳)が、同町の幼稚園から何者かによって連れ出され、殺害された事件。
島田署捜査本部は、島田市で定職につかず町を徘徊していた赤堀政夫(当時25歳)を賽銭泥棒の容疑で別件逮捕し、赤堀を久子ちゃん殺しのクロと断定し「殺人罪」で起訴した。
公判で赤堀は、アリバイを主張し「自白は拷問によって強要された」として終始無実を訴えるが、昭和33年5月一審の静岡地裁は「死刑判決」、昭和35年2月二審の東京高裁で「死刑判決」、同年12月に最高裁で上告棄却で「死刑」が確定した。
その後、支援団体による活動で「新たな証拠」が浮上した。それまでは古畑東大教授の鑑定が決め手だったが、太田東京医科歯科大学教授の新鑑定によって覆されている。これによって再審請求が認められた。平成元年1月31日、静岡地裁は赤堀に対して無罪判決を下した。典型的なえん罪事件で、赤堀の無罪獲得のために34年8ヶ月を要している。
この裁判で静岡県弁護士会の大蔵敏彦氏は、赤堀の無罪を信じて同僚とともに献身的な弁護活動を行った。丹波哲郎が「義兄は日本一の弁護士」と言ったのは、そのことを指している。家族麻雀のメンバーは私を除けば三人ともこの世を去った。時折、メンバーが一人欠けて、あの世では家族麻雀が成立しないのではないかと気になることがあるのだが・・・。
318 丹波貞子と家族麻雀 古沢襄

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