大晦日という気がしない。年越し蕎麦も用意せずに普通の日曜日の様に過ごしそうだ。新年用のドブロクを仕込んだり、ダッタン・ソバで年を越したこともあった。今年はレーズン入りの食パンを四時間がかりで私が焼いて、フカフカ・パンで除夜の鐘を聞く。
食パンを焼く仕事は、いつの間にか私の役目になった。といって大げさな事ではない。メリケン粉250グラムとドライ・イーストをホームベーカリーのパンケースに放り込み、砂糖を少し加えた水を180ml入れて、後は書斎で本を読んでいる。
電源を入れるとホームベーカリーがゴトゴトと動き出す。自動でメリケン粉を練り、ドライ・イーストを加えて発酵させてくれる。四時間も経つと寝かしてあるメリケン粉がパンらしい形になっている。それをみて焼き上げのスイッチを入れて、また書斎の戻ってくる。焼き上げは約四〇分、ふっくらとした自家製の食パンができる。ただ、それだけのことだから手間がかからない。
畏友・渡部亮次郎氏はクラシック音楽を聴きながら年越しの様だ。パン焼きの年越しとはだいぶ違う。人それぞれの思いを抱きながら越年。あと数時間で新しい年を迎える。隣で愛犬バロンが大アクビをしている。
結婚行進曲 渡部亮次郎
私が結婚式を挙げたのは1959年3月26日。敗戦から日本経済がようやく立ち直り、経済白書が「最早、戦後ではない」と謳いあげた時期だった。
だから結婚行進曲の演奏など無い地味婚だった。メンデルスゾーンの結婚行進曲を聴くのはそれから何年も後のことである。それ以前に「イタリア」を聴いた。
メンデルスゾーン「交響曲第4番・イタリア」 ドイツの初期ロマン派の作曲家メンデルスゾーンは、天才ピアニスト、指揮者でもあり、すぐれた音風景を創造したことで知られる。作品は叙情的で、色彩的な和声進行はヨーロッパの田園風景をえがいた幻想絵画のようである。
収録曲は1831年のイタリア滞在中に楽想を得た作品で、33年に初演された。通りで踊る人々や巡礼者の行進、バグパイプの音などが表現されている。
暮にラジオで結婚行進曲を通しで聴いて、メンデルスゾーンを調べる気になった。昔なら百科事典かなにか、本を出してきただろうが、今の時代は事典のCD1枚を入れておくだけで、たちどころに調べられる。
メンデルスゾーン Felix Mendelssohn 1809~47 ドイツの作曲家。初期ロマン派の主要音楽家で、バッハの作品を19世紀に復活させた音楽家としても有名。しかし38で死んだ。
1809年、ハンブルクの裕福なユダヤ系銀行家の子に生まれ、フルネームはヤーコプ・ルートビヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ。祖父に著名な哲学者モーゼス・メンデルスゾーンがいる。
母レーアが弟ヤーコプ・ザロモン・バルトルディの遺産を受継いだ時、家名にバルトルディの姓が加わったが、彼はユダヤ系を示すこの姓を名乗らなかったため、メンデルスゾーンとして知られる。16年に一家はユダヤ教からプロテスタントに改宗している。
9歳のときピアニストとしてデビューし、11歳にして自作を公開演奏する。やはり天才だったのだ。序曲「夏の夜の夢」は17歳のときの作品である。ただし、同名のシェークスピア劇の付随音楽を作曲したのは16年後であり、この中に広く親しまれる「結婚行進曲」が含まれている。
この間、ボヘミアのピアニスト・作曲家モシェレスや、ドイツの作曲家カール・ツェルターらに師事した。1829年、バッハの「マタイ受難曲」を、自らの指揮で再演。
作曲者の死後まったく演奏されることのなかったバッハ作品に対する一般聴衆の関心を復活させ、バッハ復興に尽力した。
その後はピアニスト、指揮者として精力的にヨーロッパ中をめぐり、イギリスにも足を運んだ。1833年にデュッセルドルフ市の音楽監督、35年にはライプツィヒのゲバントハウス管弦楽団の指揮者に就任。
1841年にはプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム4世につかえる楽長になる。また、ライプツィヒ音楽院の創設に奔走し、43年に開校にこぎつける。
1847年、激務による過労に加え、有名なピアニストだった愛する姉ファニー・メンデルスゾーン・ヘンゼルの死の知らせに落胆・衰弱し、その数カ月後にライプツィヒで死去した。モーツアルトよりは長生きだが、38歳はやはり若すぎる。
メンデルスゾーンはピアニスト、指揮者、音楽院教授の仕事におわれる過密スケジュールにもかかわらず、大量の作品を遺した。5曲の交響曲のうち、「イタリア」(1833)と「スコットランド」(1842)はとくに名高い。
オラトリオの「聖パウロ」(1836)と「エリア」(1846)、世俗カンタータ「最初のワルプルギスの夜」(1832。43年改訂)、それにソナタ、前奏曲、フーガなどのオルガン曲は、19世紀の傑作にかぞえられる。
この他の主要作品に、序曲「フィンガルの洞窟」(1832)、バイオリン協奏曲ホ短調(1844。ベートーベン、ブラームスの作品と並んで3大バイオリン協奏曲と呼ばれる)、2曲のピアノ協奏曲(1831、37)、ピアノ曲「厳格な変奏曲」(1841)、「無言歌」8巻(1830~45。中には姉ファニーが作曲した作品もある)がある。
曲の構造は古典派の形式によっているが、オーケストラの色彩的な音色や、風景、行事、人物などを描写する標題音楽をこのんだ点にロマン派の資質がうかがえる。作風は優雅、抒情的で、つねに明快晴朗な響きをたもつが、大胆な革新性はない。
メンデルスゾーンの結婚行進曲は『夏の夜の夢』の中の1曲。最も有名であり、よく使われる結婚行進曲である。何時ごろから何処で定着するようになったかは調べても分らなかった。Microsoft(R) Encarta(R) 2006. (C) 1993-2005 Microsoft Corporation.All rights reserved. 2006.12.31
355 人それぞれの思いを抱きながら越年 古沢襄

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