363 幻の魚・イトウ 古沢襄

青森の東奥日報に「幻の魚」イトウが絶滅の危機にあると報じていた。共同通信社の正月原稿なのであろう。数年前のことになるが、日本で初めてイトウの人工孵化に成功した人物を連れて、岩手県沢内村(現在は西和賀町)に行ったことがある。
イトウが減っているのは、自然環境の悪化もあるが、稚魚の孵化率が極端に低い点にある。那須連山の麓近くでイトウの人工孵化に成功した人物がいると聞いて訪れてみた。A氏としておこう。イトウに取り憑かれて十年間、様々な実験を繰り返したが、いずれも失敗している。
ある日のことだ。人間だって愛人が七人もいれば子沢山になる。イトウも一夫一妻制から一夫多妻制にすれば、稚魚が沢山生まれるのではないかと天啓のように閃いたという。とはいうものの、この実験も難渋をきわめた。
イトウは稚魚期は水棲昆虫、落下昆虫などを捕食するが、大きくなるとカジカ、ウグイ、サケ稚魚などの魚類を補食する。体長30センチを超えるとほとんどが魚食性となる。A氏はイトウの餌となる岩魚を育てることから始めた。
那須連山から流れる清水を引き込み、十以上の池に段差をつけて自然環境に似た岩魚の養殖池を作った。現場を見学させて貰ったが、大がかりな公園といった感じであった。その一方でイトウの大型池を作り、メスのイトウを放した。オスのイトウは見るからに強そうなものを選んで放流している。別に稚魚の放流池もあった。

イトウには南限があって、水族館のような特殊な環境を作れば別だが、北関東以南の自然環境では暖か過ぎて生息できない。私が友人の高木幸雄氏に連れられてA氏を訪れたのはイトウを使った”村おこし”が東北でできないかと考えたからである。
A氏は気さくに答えてくれた。数万匹いる稚魚の放流池を案内してくれて、北海道も青森も天然のイトウが激減したので、人工孵化の稚魚を送っていると言った。そしてイトウの刺身をご馳走になった。「イトウ釣りは釣り人の究極の楽しみ」と教えてくれた。
この三つの事はイトウによる”村おこし”の参考になる。一つは稚魚を育てて北海道や東北の放流用に事業化することである。二つ目は食用にイトウを育てて事業化することだが、刺身のイトウは淡泊なヒラメの味と変わらない。岩魚を食べさせ、一メートル近い大魚に育てるには時間とコストがかかる。三つ目は川に放流して釣り人を呼ぶ観光の目玉にすることだが、魚食性だからカジカ、ウグイ、サケ稚魚が川から姿を消すかもしれない。大型の釣り堀で釣り人が満足するだろうか。
そのいずれもが財政悪化に悩む東北の村にとっては重過ぎる課題となる。A氏のような人が現れて自力でイトウの事業をしてくれるしか望みはないと思う。やはりイトウは絶滅の運命にあるのだろうか。青森県では北海道大学水産学部付属七飯養魚実習施設から1981年以降九回にわたり稚魚が導入され、その後、鰺ヶ沢町、岩崎村で養殖が行われているというのだが・・・。

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