亡くなった漫画家・杉浦幸雄さんは心優しい人であった。彼が怒った姿をみたことがない。トミ子夫人を「カーくん」と呼ぶので、それを聞くと背中がムズ痒くなったものである。女性漫画を描かせたら第一人者だったが、恐妻家でも有名であった。
杉浦漫画は「当世おんな風俗画集(青蛙房・昭和63年)」が集大成だと思うが、私は彼からきたハガキを大切に保存している。年賀状あり、私信のハガキありなのだが、必ず女性漫画が印刷してある。(杉浦漫画の個展で一枚の絵を購入したお礼のハガキ)
曾野綾子さんは杉浦漫画を評して「杉浦さんがここ数年間・・・延々と書いてこられた女性は、その無知、狡猾、ハレンチ、欲張り、動物的(人間的にあらず)だらしなさ、無能さ、お人好しの点において、まさに目を覆わしむるものがあった。この方、ツワモノである。真実を描いてゾーとさせ笑わせる。単なる漫画ではない。人間洞察であり、文明批評である。一九六〇年代の全女性のテキとして、昭和史に名をとどめるに値する」と言った。(平成十一年の杉浦年賀状)
杉浦さんのお伴をして銀座のバーに行ったことがあるが、家庭では「カーくん」を連発している杉浦さんの目が妙に鋭く、優しい仕草をみせながら、怖い感じを受けたものである。外では照れもせずに”女性礼賛論者”と言い放ちながら、女性の”業”といったものに目をそそいでいる。やはり女性風俗を描かせたら杉浦さんの右にでる漫画家はいない。(平成十二年の杉浦年賀状)
女性の曾野綾子さんは、杉浦漫画の本質を見抜いている。だが、その裏腹なのだろうが、女性の優雅さ、清純さに杉浦さんは少年のような憧れを持ち続けていた。たまたま作家の八並誠一さんの長女である紀子さんを紹介したところ大いに気に入ってくれて、帝劇のあるビルの山水楼で一緒に食事をする誘いを受けた。紀子さんは水泳選手。高校時代から名が知られていた。サッパリとした性格で物怖じしない態度に興味を持ったのであろう。(山水楼の誘いのハガキ)
晩年の杉浦さんは古事記の持つエロチシズムを漫画化する意欲を持っていた。それを果たせずに他界したのだが、心残りがあったと思う。「当世おんな風俗画集」に”逞しかった終戦後の女”の漫画がある。敗戦の廃墟の中から、腑抜けとなった男どもを尻目に闊歩する女性が描かれている。死の直前まで漫画を描いて現役のままこの世を去った。(一緒に東北旅行をした時のハガキ)
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