392 シベリア墓参で不戦の誓い 古沢襄

戦争の悲劇という言葉が風化して、観念化・類型化してきたなという思いが、かなり以前からあった。それが怪しからんとか、情けないと嘆いても始まらない。昭和ヒトケタの私たちの世代が人生の舞台から退場し、子の時代もそろそろ定年を迎えようとしている。間もなく孫たちが時代を担う日が迫っている。戦争の実体験がないから観念化・類型化するのも無理はない。
だから、この十年来、身近だったシベリア抑留の悲劇を事あるごとに書いてきた。なるべく大上段に振りかぶらずに淡々と記述する様に努めてきたつもりだ。説教調になると孫たちの世代は本能的に忌避する傾向がある。最近になって、その孫世代の人たちからメールがよく来る。新米社員あり、フリーターあり、大学院の学生ありで様々だが「先生の記事を読んで戦争の悲劇を実感しました。今まで何も知らなかった」という内容が多い。(シベリアの日本兵墓地)

日教組の地方活動家として一生懸命に旗を振ってきた人と一緒にシベリア墓参をしたことがある。「父は志願して兵隊になり、ソ連軍と戦って死んだと思っていたから、墓参する気が起こらなかった」と正直に言っていた。「満州在住の壮丁が根こそぎ召集されたのだから志願兵ではないですよ」と教えてあげたのだが、まだ心の底でわだかまりがある様だった。
シベリア各地の墓参をしている中に、日本兵が好んで戦争に加わったのではないことが少しずつ分かって貰えた様に思う。この人の父が埋葬されているところは、鬱蒼たる森林地帯と化し定かではなかったが、それとおぼしき地点で慰霊祭を行った。いつまでも祈りを捧げる日教組氏の後姿をみて考え方の違いはあるにせよ”父と子”の心が通い合ったと救われる思いがした。(父に祈りを捧げる)

孫の世代と墓参の旅をしたことがある。明るい好青年だったが「父が祖父の名をつけてくれたんです」という。祖父の方の墓地は発見できなかった。かなりの墓地は貯水池の下に沈んでいたり、新しく建った住宅地の下にある。あるいは人が入れない森林地帯になっている。でも祖父ひとりが貯水池の底で眠っているのではない。多くの戦友と一緒に沈んでいる。「水神様になっているかもね」と言って慰めた。
シベリアに抑留された日本兵が一番多く死んだのは第二シベリア鉄道の沿線地帯。ナチス・ドイツの機械化兵団がロシア平原に怒濤のように侵攻してきた時に、ソ連は第二シベリア鉄道のレールを外してドイツ戦車を防ぐバリケードに使っている。
敗戦後、日本の兵士は第二シベリア鉄道の復旧に駆り出された。枕木となる木の伐採作業が、零下40度にもなる酷寒の中で休みなく行われ、食糧もないことからバタバタと兵士が倒れている。第二シベリア鉄道の枕木の数だけ日本の兵士が死んだと言われている。
満州からシベリアに送られた日本兵の数は約五十七万(外務省発表)、この中、帰国者四十七万。現地での逃亡、行方不明、戦犯として中国側に引き渡された人数を含むから、正確な死亡者の数は明確でない。ソ連側資料(ソ連・東洋アカデミー)では抑留中の死亡者は六万四千という。
昭和五十年(1975)に引揚援護局は、ソ連地域の日本人死亡調査を発表した。ソ連全土における日本兵墓地数は三百三十二カ所、埋葬人数は四万五千五百七十五人。どう少なく見積もっても一万五千人以上の兵士の墓が不明なまま半世紀が過ぎた。
第二シベリア鉄道の沿線ではタイシェットとブラーツクの間に粗末な収容所が目白押しに建てられていた。鉄道復旧を急ぐあまり、兵士が死亡するとただちに他の収容所から補充要員が優先的に送り込まれている。死亡者は沿線沿いに埋められた。そこは身の丈にもなろうかという草木が生い茂っている。戦友たちが建てた「友よ、静かに眠れ」と書いた木の墓標があった。(第二シベリア鉄道沿線の墓標)

ソ連時代のスターリンの圧政はロシアのインテリゲンチアはじめ多くの民衆を苦しめている。イルクーツク大学教授で歴史学博士・セルゲイ・イリイッチ・クズネツオフは「スターリン体制がロシア国民や他国民に対して犯した犯罪行為は容認できない。それらについて、真実を語り続けることが必要」という。
ゴルバチョフの時代になって多くの古文書保管所の資料が公開され、それを読んで衝撃を受けたクズネツオフは十五年の歳月をかけてイルクーツク州やブリヤート共和国の日本人墓地を巡った。ロシア内務省の公開資料からクズネツオフは、強制労働に駆り出された日本人シベリア抑留者の悲劇を克明に暴いている。(クズネツオフ教授)

バイカル湖の小高い丘に兵士の墓地がある。そこで上品な中年の日本女性と会った。賢こそうな男の子と女の子を連れた三人連れ。横浜に住む人だといっていた。もう十年近い昔の話となったが、二人の子供たちも成人したに違いない。戦争の悲劇を繰り返さない母から子に伝える旅だったと思った。小高い丘の墓地に慰霊碑が建っていた。私も手を合わせて不戦の誓いをたてた。(リストビヤンカの慰霊碑)

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