若い方々のために中国残留日本人孤児問題とは何かを解説する。中国残留日本人孤児の悲劇は今から半世紀以上前の昭和20年(1945年)8月に起こった。もともとは昭和10年ごろ、中国東北部(元満州)には政府の方策のもと約30万人の日本人が開拓団として入植し、日本人社会が形成された。
昭和20年8月9日、旧ソ連の対日参戦により、日本人社会から男性の多くが召集され、残された女性や子供、高齢者は避難を選択。厳しい戦況に加え飢餓や伝染病のため、子供たちは親兄弟と死別したり中国人に引き取られるケースが多かった。
この子供たちは中国人養父母のもとで育てられ、日本に帰国する機会を失ったまま成人。これが中国残留日本人孤児だ。旧厚生省(現厚生労働省)が中心になって作成した中国大陸からの未帰還者の名簿や聞き取り調査から推定し、残留孤児の総数は約2500人と推定されてきた。
ところが、日中国交回復(1972年)後、残留孤児調査で孤児の数は、はるかに上回っていたことが判明。現在、厚生労働省が把握している残留孤児は2,773人。さらに170人程度の残留孤児の可能性のある人がいるらしい。
これまでに身元判明したのは1,274人。このうち1981年から行われている訪日調査で身元が判明したのは675人だ。訪日調査が始まったころは高い確率で判明したが、ここ数年は数人程度。
厚生労働省は孤児や関係者の高齢化が進み、証言が得られなくなってきたとしているが、少なくてもまだ1,500人近くの人の肉親が不明なままだ。以上が産経の解説。
田中角栄首相の特別機に同乗して、日中国交正常化の推移を見つめていた時、私も多くの国民も、この事実は知らなかった。小泉首相の北朝鮮訪問をきっかけに残留孤児は北朝鮮にもかなりいるはずだという投書を新聞で見たが、田中訪中の時に孤児問題に触れたメディアは一つも無かった。
中国人に預けたり、呉れたり、あるいは売ったりという例もあったというから、このまま墓に持っていこうという悲壮な決心をしていた人たちもあったかもしれない。ある人の説では、孤児のことを持ち出せば、出自がばれるのを恐れた人も多かったという。
とにかく、日中国交正常化後も、ほとんど表面には出と来なかった。そうやって私の年月は6年が過ぎた。ところが問題は突然私を襲った。昭和53(1978)年8月の北京。私は今度は外務大臣園田直(そのだすなお)の秘書官として、日中平和友好条約の締結交渉の真っ只中にいた。条約は12日に調印できた。
我々は大使館に夜、立ち寄った。すると前庭の暗がりに相当な数の人間がうごめいている。大使に「これは何ですか」と聞いたら「何でもありません」との答え。
しかし、私はまだ記者だった。その結果、これがあの残留孤児の人たちだと知った。とんでもなく遠くからやってきたのだとも知った。「田中さんの時は間に合わなかったが、今度は間に合った。園田さんは日本へ連れて帰ってくださるだろう」という人もいた。だが、私には何の用意もないし、なんとも出来なかった。
考えてみれば、あの時厚生省と外務省が組んで遅まきながらとはいえ直ちに行動すれば事態はもっと早く動いたのだが、外務省は「引揚などの援護事業は厚生省の仕事」といい、厚生省は「海外のことだから外務省の仕事」といって互いに逃げた。
それからさらに3年、私は何もできないでいたが、今度(1980年)は厚生大臣の秘書官になっていた。外務省をよく知っている園田厚生大臣だから、仕事はやり易かった。援護局はやっと積極的に動いた。
その結果、昭和56年(1981年)3月2日、厚生省の招待で残留孤児の第1回訪日団として47人が来日。この時は26人の身元が判明したのだった。けじめの好きな園田大臣は援護局を特別表彰した。 実はもっと早く着手できたはずだった。
しかも、身元が判って帰国した人たちが、今度は生活苦に泣いて、とうとう国を裁判にかけたのが一連の判決だが、殆どが「国家に責任なし」という無情の判決だ。
孤児の人たちは帰国後、しばらくは生活保護を受けながら日本語や生活習慣の勉強をして就職したが、年齢がいっていたため、正社員になれなかった人も多い。どんなに日本語を勉強したって、所詮はにわか勉強。いまだたどたどしいままだ。
65歳の人は定年後、受給できる厚生年金は月額約3万3千円。これでは家賃も払えない。老後の収入は厚生年金と国民年金あわせて月10万円程度。ほかの孤児の多くは帰国がさらに遅かったため国民年金の受給額は2万円しかないのが現状だ。
政府は、私の見る限り、孤児問題を一貫して親族や本人が処理すべき「個人次元の問題」としてきた。このため、2年前から国会に対して行った請願もあえなく葬られた。それなのに政治家たちは北京へ行ってはお祭り騒ぎはやる。「何だというのだ」その失望感がとうとう訴訟になるのだ。
もともと満州開拓自体、国の棄民政策のようなものだった。それが関東軍に見捨てられ親に棄てられ、政府に見捨てられ、すがった国会にも冷たくされるとはあまりにも悲惨だ。政治はあまりにもむごい。
政治に責任なし、とする判決を書いた判事に言いたい。田中訪中のときから孤児探しをしていれば、身元の判明例は多かったはずだ。それなのに役人たちはやらなかった。そうしておいて今度は判決で責任なし、とはあんまりではないか。安倍さん、決断してください。2007.02.01
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