「冬の寺は雪が積もらないと様にならないな」と嘆いていた菩提寺の泉全英和尚から「庭園に大雪が積もった!」と弾んだ声で電話してきた。菩提寺・玉泉寺の庭園は野趣に富んだ東北らしい大庭園で四季の豊かな移り変わりの顔をみせる。この十年来、年に二、三度は寺を訪れて本堂に寝ころんで居眠りをしたり、庭園を散策して楽しんだりしてきた。私は冬の庭園よりも秋の庭園の美しさに惹かれる。(菩提寺の庭園風景)
和尚とは親友なので、一緒に酒を飲んだり、旅をして朝から晩まで禅問答を闘わせてきた仲である。花巻の温泉で徹夜で酒を酌み交わした時のことである。「旦那さん、寺史を書いて下さらんか」と和尚が突然言い出した。「冗談じゃない。私は寺作家ではないんだよ」と断った私。
「玉泉寺はな、創建以来、一度も火災に遭っていないので、古い資料や写真がダンボールに三箱もあるんだよ。それを読んで下さらんか」と和尚は搦め手から攻めてきた。古い資料好きの私の性癖を知り尽くしている。私の気持ちが少し動いた。
花巻の温泉から戻ったら追いかける様にして三箱のダンボールに詰めた資料が寺から届いた。読み出した止まらない。「型にはまらないユニークな寺史なら考えてもいいよ」と返事したのは一九九八年夏のことであった。
それから一年がかりで関連する書物漁りや西和賀地方の探訪という補強取材が始まってノート三冊分の記録がたまった。それをもとにした年譜作りに精をだしている中に再び夏を迎えている。書き出せば十日もあれば脱稿する自信があった。(貴重本の「和賀郡誌」大正八年刊)
「寺院の静寂さに包まれると人は時空を超えた心の安らぎを覚える。まして、そのお寺が菩提寺だと、木立の中から、先祖の声が聞こえてくる」と一気に書きあげたのたのが、あとが続かない。もともと信仰心が薄い私のことである。寺史として心に響く文章が続かなかった。自分の心に響かない寺史では、檀徒の心に響く筈がない。
仕方がないので一ヶ月近く放りだして玉泉寺に遊びに行った。二日間ほど庭園をみてボンヤリと時を過ごした。私の先祖が寄進した「一点山」の山額をみながら、一介の百姓として終わったご先祖たちにも思いを馳せてたりした。
玉泉寺の歴代和尚の事跡を書き連ねるだけなら誰でもできる。その和尚の生きた時代背景が浮き彫りにされないことには寺の歴史にはならない。寺の歴史は、その村の歴史でもある。和尚を囲む村人の姿がみえないことには、単なる寺自慢に終わってしまう。そんな寺史を書いても仕方あるまい。夏の終わりになって気持ちをいれ変えて寺史を再び書きだした。(一点山玉泉寺物語の表紙になった冬景色)
それから三ヶ月、一九九九年の十一月に「一点山玉泉寺物語」が本になった。お寺の二階にある大広間で檀徒一同が集まって出版記念の酒盛りをしたのが、つい昨日のことの様に思える。随筆家の志賀かう子さんも着物姿で駆けつけてくれて人気を一人占めしていた。今も故郷の栃木県で活躍しているという。すでに八年の歳月が去っている。(雪に閉ざされた菩提寺)
410 旦那さん、寺史を書いて下さらんか 古沢襄

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