世間の人はマスコミの政治記者が毎晩の様に政治家の自宅に夜回りをかけるのを奇異に思うであろう。半世紀も前のことだが「世界で夜回りをしているのは日本とインドネシアだけ」と言われたことがある。しばらくして韓国でも夜回りが始まっている。
夜回りというのは、結局は周辺取材の域からでない。本丸の総理大臣とサシで話ができるのなら、こと人事に関しては夜回りの必要はない。しかし多忙をきわめる首相とサシで話し合うチャンスなど、ある筈がないから、首相側近に夜回りをかけて首相の腹を探ることになる。
岸から池田へのバトンタッチが為されて池田内閣の初組閣が始まった日のことである。旧総理官邸の玄関前にマスコミ各社のテント村が立った。四十七年も昔のことになる。テレビで官邸記者のキャップクラスが政局座談会を初めてやって、視聴率をあげる一役を買った頃。
組閣参謀となる幹事長人事が焦点となった。池田首相の周辺では大平正芳氏ら秘書官あがりの政治家と西日本新聞の政治記者から秘書官になった伊藤昌哉氏らに夜回りが集中している。しかし口が堅いのでラチがあかない。その中で”Y”が幹事長候補として浮上した。
テント村では「Y幹事長に内定」が一斉に流れた。速報を使命とする共同通信社もY幹事長を流すことに迫られて、速報原稿が用意され、Y略歴も準備された。この時の政局デスクは官邸長だった福田亮太氏。
福田デスクから「益谷副総理の秘書官・辻トシ子のところに行け」と副総理番の私に言ってきた。「共同もY幹事長に踏み切る、といって辻さんの表情をみてこい」と理解し難い指示をする。
不得要領な指示だったが、そのことを辻秘書官に伝えたら「共同も誤報をするの?」という。「Yじゃないのですか。誰ですか」と質すと「ウフフ」と笑って「さあお帰り。フクちゃんは、それで分かるわよ」・・・。
首を傾げながらテント村に戻って報告したら「Y原稿はストップ。共同は益谷幹事長でいく」と福田デスクは大声で本社に電話をした。後になって福田デスクに謎解きをして貰った。「大平やブーちゃん(伊藤秘書官)は池田に仕える立場。辻女史は池田とサシで話せる立場だが、ギリギリにならないと本当のことを言わない。辻嘉六の娘だもの・・・」新米記者の私はギリギリのところで使われたわけである。
この話には続きがある。益谷幹事長の後任人事をめぐってY幹事長説がまた浮上している。今度こそY幹事長になると各社は信じた。宏池会の担当記者として少しは板についてきた私だったが、酔っぱらいの前尾繁三郎氏に気を惹かれることもあって、大平邸よりも前尾邸に足を運ぶことが多かった。しかし暗闇の牛のような前尾氏のことだから、池田首相の弟分とはいえ前尾幹事長になるとは思っていなかった。辻詣りは相変わらず続いていた。
明日、党役員人事が決まる夜のことである。念のために辻さんに電話を入れた。「共同は”Y幹事長に内定、前尾幹事長の可能性も”の原稿でいく」と伝えた。翌日の各紙朝刊も同じような紙面を作った。
辻さんはまた「ウフフ」と電話口で笑った。そして「騙されたと思って、明日の朝に前尾邸に行ってごらん」といって電話を切った。二度目の「ウフフ」だから、さすがの私も気になる。
翌朝、前尾邸に行ったら前尾氏は眠そうな目をして応接間にでてきた。新聞もテレビも誰一人きていない。皆、Y邸に張り込んでいた。「今度のウフフは外れたな」と思いながら、前尾氏から竹久夢二の絵の素晴らしさを聞かされるはめとなった。八時半に電話が鳴った。前尾氏はボソボソとした声で応えている。
念のために誰からの電話なのか聞いてみた。「信濃町(池田邸)だよ。幹事長を引き受けることにした」とこともなげに言う。総務会長は?政調会長?と矢継ぎ早やの質問にも答えてくれた。副総裁をおくことも分かった。電話を借りて酒井デスク(後の社長)に速報をいれた。福田亮太氏は電通に移っていた。
しばらくすると血相を変えた各社が前尾邸に押し掛けてきた。前尾氏は度の強い眼鏡ごしにボソボソと応えている。この時に周辺取材は必要だが、限界があることも、あらためて思い知った。辻トシ子さんは、そのこと教えてくれた恩人に外ならない。
412 辻トシ子さんの「ウフフ」 古沢襄

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