歌手の森進一が代表曲「おふくろさん」を歌うことに作詞家川内康範氏が待った!をかけたという。川内氏とは三十年前のことだが、福田赳夫さんのところで会ったことがある。自らを”俗徒”と称した小気味のいい人物だったが、二度目に会ったら「俗論 現代を殴る」という本を頂戴した。(1972年版の「現代を殴る」)
僅かな触れあいだったが、義理・人情が洋服を着て歩く人だな、と思った。威張ることのない人だったが、筋が違うと思えば、相手が総理大臣でも噛みつく気骨を持っていた。その川内氏が歌手・森を許さないと怒っている。「おふくろさん」の冒頭で、森はセリフをつけて歌う。このセリフは川内氏には無断でつけたから、作詞家としては黙っておれない。これが川内氏の突然とも思える”怒り”なのであろう。
森進一にしてみれば「おふくろさん」は自分の代表曲。おまけに川内康範氏からは息子の様に可愛がられてきている。やはり芸能人らしい”甘え”があったのであろう。「現代を殴る」の中で「バカは芸能人だけでたくさんである」という文章(24ページ)が出てくる。派手な、見栄をはる結婚披露宴に呼ばれて、苦痛を感じることを隠していない。
政治に対してもかなりの辛口寸評をしてはばからない。<世界中に、日本の政治家ほど国民大衆に媚(こび)を売る種族はいない。また強大な外国に微笑をおくるといういやらしさを、日常茶飯事のように行っている国もすくない。アメリカへの微笑外交がそれであり、ソ連、中共への遠慮がそれである。そのくせ、自民党にしろ、社会党にしろ、自分の党のこととなると、とたんに面の皮が厚くなるというのはどういうことであろうか?>
その川内氏が自民党の園田直氏のことを手放しで誉めていた。<日本人全体が、いかに生きるか、生きてきて何を見てきたか、何をしてきたかをを基本として、もうそろそろ発想の転換を図るべき時代に入っているのではないか。この言葉は、自民党の園田直が、昨年の春ごろから、春秋会(旧河野派)の研修会で度々政界に訴えてきたものである。無論、自民党への警告が主目的であろうが、園田は何も、これを自民党のみにあてはめようという狭い視野に立って発言したのではなく、野党をふくんでの政界全体の問題として提起したものだった。>
この問題提起は三十数年経った現在でも生きている。園田氏は亡くなったが、八十六歳になった川内氏は”俗徒コウハン”のまま健在である。森進一のことは礼儀知らずだと怒っただけのことで、きちんと謝れば尾をひく問題ではない。謝り方に誠意があるか、ないかで川内氏の怒りも納まるであろう。スケールが大きい川内氏のことだから、いつまでもこだわりを持つ筈がない。それがくみ取れない様では「バカは芸能人だけでたくさんである」と言われてしまう。
コメント
川内氏が存命であれば、福田康夫氏の総理としての在り方は、国民により近いものであったろうし、福田氏も困難に耐えられた事と感じる。停滞していた諸問題が動き始めていただけに、残念である。