アメリカの目から見れば小泉前首相は、安心してみていれるパートナーだったろう。「どこまでも付いて行きます下駄の雪」と揶揄されても平気の平左。二〇〇六年六月の日米首脳会談が終わった後に、エアフォースワンにブッシュ大統領夫妻と同乗して、エルヴィス・プレスリーの旧居である「グレイスランド」を訪れる破格の厚遇を受けている。
そこで小泉首相は「グローリー、グローリー、ハレルーヤ」と熱唱しながら、エアギターを披露したのは記憶に新しい。日本の首相の熱演にブッシュは相好を崩して喜んでいた。
その小泉前首相が強力に推した安倍首相である。だが、ちょっとおもむきが違うとブッシュは思っているのではないか。タカ派なのはいい。だが「ノウと言える日本」の石原東京都知事と似た感触を安倍首相から感じとっている気配がみえる。
日本はいつまでも”下駄の雪”であって欲しい。下手な自立心は困る・・・というのが、アメリカの本音であろう。日本の自衛隊も米軍の補助戦力にとどめておきたい。独自に核武装するなんて、とんでもない。大雑把にいえば、それが本心であろう。
見え隠れするアメリカの本心を知りながら、小泉前首相は”下駄の雪”を演じてみせた。小泉劇場の演出家だっただけに、ブッシュの心を掴むのは、お茶の子さいさいだったろう。戦争に負けて、一度は占領された日本国だから、ご無理、ごもっともで面従腹背の演技をしながら、自国の利益を守るしかなかった。吉田元首相は、これを軽武装・経済重視主義と称した。
岸元首相は、吉田流のやり方を変えて、日米安保条約を対等な関係にしようとしている。「日米戦争でアメリカに対して日本は毫も卑屈になる必要はない」という信念の持ち主。だが戦前回帰を懸念する日本国内の世論が高まり、日本の一人立ちを怖れたアメリカもいい顔をしない。条約改定交渉は難航し、藤山外相とマッカサー駐日米大使との秘密交渉でまとまった改定安保条約は、岸元首相が意図した対等条約とはほど遠いものになった。
ようやくまとめ上げた改定安保条約案を藤山外相が岸首相に報告したら、岸は見向きもしなかったという逸話がある。だが、岸の意図した対等条約でない改定安保条約案をひっさげて、岸は条約批准のための安保国会を乗り切る運命となった。六〇年安保騒動の裏話である。
岸が意図した対等条約は、自衛隊の国軍化、それを実現するための憲法改正という改憲プログラムが背景にある。だが、改定安保条約案は対等条約ではない。日本が攻撃された時にはアメリカは日本防衛の責務を負うが、アメリカが攻撃された時には日本は手をだすことが出来ない偏務条約となった。日本の自衛戦力はいらないというアメリカの意識が、この当時にはあった。余計なことはするな、ということであろう。改憲プログラムは日の目をみなかった。
その代わり、改定安保条約案をギリギリまで拡大解釈し、憲法違反にならない範囲で補強する法案を成立させる自民党の試みが行われてきた。憲法解釈もギリギリにまで拡大解釈をされている。弱体だった自衛戦力も強化され、とくに海上自衛隊の戦力はアジアでも有数のものになっている。日本の自衛戦力はいらないとしたアメリカは、米第七艦隊の補助戦力として、日本の海上自衛隊を無視できないところまできた。
小泉前首相の防衛戦略構想は、岸が意図したものにまでは踏み込んでいない。憲法改正に格段の興味を示したものでもない。吉田の軽武装・経済重視主義とは違うが、強いていえば中武装論の範囲にとどまるものであろう。アメリカとの対等条約よりも、日米同盟による防衛戦略の域にとどまる。
安倍首相の防衛戦略構想も原則的には小泉路線を継承している。だがアメリカはどう見ているのだろうか。対等条約を志向した岸元首相の孫という先入観があるのではないか。安倍内閣が誕生して、短期日の間に防衛省が出来て、憲法改正にも意欲を示している。久間防衛相はイラク戦争は誤りだと述べた。従軍慰安婦に関する米下院の決議がされても、あらためて謝罪するつもりはない、と安倍首相は言い切った。アメリカは少し不安な目で安倍内閣をみていると思う。その不安を払拭するために日米首脳会談を持つ必要があるのではないか。
467 安倍内閣に対する米国の不安 古沢襄

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