NHKの大河ドラマ「風林火山」は前半のヤマ場に入った。来週は信玄の父・信虎の追放劇を描く。甲陽軍鑑では「信玄公、御父信虎公を追出の事」と項目を起こしているが、意外と記述があっさりしている。
戦国時代には子が父を滅ぼして権力の座を奪い取るのは、さして珍しいことではないのだが、甲陽軍鑑が書かれたのは江戸時代である。子が父を敬う儒教精神が重んじられ、幕藩体制を維持するためにも主君を立てる秩序が必要であった。
<信玄公は時々(よりより)駿河の今川義元公に書信を寄せた。次郎殿(信繁)を惣領に立て、自分を嫡子からはずすと信虎公は申されるが、そのおりは義元公だけが頼りですからよろしく、といろいろお頼み申された。だから義元公も欲をおこし、晴信公(信玄)と組んで信虎公を駿河へ招かれたのだ。>とクドクド弁解調の記述を連ねている。信虎追放の主役は義元公!と言わんばかり・・・。
甲陽軍鑑の特徴は、信虎を粗暴で傲慢な暴君として、露骨に描いている。信玄を讃える書だから、追放された先君を、ことさらに暴君に仕立てあげる必要があったのだろう。だが同族間の争いが絶えず、乱れに乱れていた甲斐一国を統一した信虎の手腕は並のものではない。しかも晴信に公家の三条公頼の娘を迎えて京都との関係を図ったり、今川氏との婚姻政策を展開するなど外交的な感覚にも優れていた。やはり並の武将ではなかったというべきであろう。
信虎追放劇を仕組んだのは、晴信側近の三人の武将・板垣信方、甘利虎泰、飯富虎昌なのだが、この甘利虎泰の子孫が、安倍内閣の経済産業相・甘利明氏。日曜日には大河ドラマ「風林火山」を欠かさず見ているのでのでなかろうか。安倍・信玄の宿将たらんという意欲を燃やしているのか、どうか?
甘利虎泰は板垣信方と並ぶ武田二十四将・武田四天王の一人である。出自は甲斐源氏、武田氏の庶流という名門。勇将の名が高かったが、天文十七年(1548)二月、上田原の戦いで討ち死にしている。連戦連勝の武田軍は初めて苦杯をなめた戦であった。
上田原の戦いは、いずれ「風林火山」のドラマで出てくるかもしれないが、この戦で晴信は股肱の臣ともいうべき板垣信方と甘利虎泰の宿将二人を失っている。
上田原は上田市の西にある。千曲川を渡って約一里(4キロ)のところだが、私は敗戦をはさんで、この地に疎開して一年ほどいた。この地で晴信は村上義清の軍勢と激突している。晴信は合戦を前にして「この度の戦は村上軍を全滅させることにある」と下知した。
晴信は信濃攻略で焦りをみせている。佐久衆の徹底した抗戦に遭って「一兵も残すな、あまさず殺せ」と熱に浮かされた様な下知を繰り返している。降伏する敵には寛大だった晴信の姿は消えた。志賀城攻めでは、討ち取った佐久衆三千の首を城の石垣に並べて「敵対すれば、みな殺しにする」と威嚇した。
これでは逆効果になる。城兵は決死の覚悟を決めて、女・子供に至るまで、石を投げて抵抗した。武田勢の総攻撃で、男はことごとく討ち死にして、生き残った者はいない。城内には女・子供が二百三十人残っていた。板垣信方は、これを許して釈放するよう進言するが、晴信は許さない。抵抗した懲罰として女は甲州の黒川金山の遊女(あそびめ)にし、子供は奴(やっこ)として働かせる酷い裁断を下した。(妙法寺記)
南信の悲劇は北信の村上勢に、いち早く伝わっている。佐久衆との身寄りの者が多い。間者を放った真田幸隆は「村上軍は死にもの狂いで向かってくる」と晴信に献言し、板垣信方、甘利虎泰も力攻めを避けるよう晴信に進言したのだが、若い晴信は村上勢を甘くみていた。
二千の村上軍は分散せずに上田原を見おろす山麓に固まって陣を張る。攻める甲州勢も二千。二月十四日に戦端が開かれたが、決死の覚悟を決めた村上勢の戦意は甲州勢を上回った。山を背にして一歩も退かない。木立を背にして矢を射かけ、ひるむ甲州勢に斬り込みをかけてきて、まず板垣信方が孤立する。全身に槍と刀傷を受けた板垣信方は討ち死。
晴信の本陣を守った甘利虎泰にも村上勢は殺到した。勇将・甘利虎泰も乱戦の中で討ち死。五百の損害を出した晴信は三月三日に全軍の引き揚げ命令を出している。何よりも晴信を支えてきた板垣信方と甘利虎泰を一度に失った傷は大きい。これ以降、武田軍団の中核となって晴信を支えるのは、しばらくは飯富虎昌一人となる。
甲陽軍鑑では「信州上田原の事」がある。<板垣信方は、戦上手の侍大将ではあるけれども、軽率な判断をするようになっていた。配備を怠り、味方の軍勢から離れていた。さすがの板垣殿も油断して首を取られた。>と素っ気ない。
<板垣の軍勢は切り崩されたが、飯富虎昌らを先頭にして村上勢を押し返し、追撃して残らず首をとる。これは三河浪人・山本勘介が晴信公に申し上げた軍法である。討ち取った首は二千九百十九、味方は雑兵ともに七百余りが討ち死。二十七歳の晴信公は、この合戦に勝利された。>上田原の戦いも天文十六年(1547)と誤記している。甘利虎泰の討ち死にも触れていない。NHKの大河ドラマが、上田原の戦いをどう扱うか、板垣信方と甘利虎泰の人物像をどう描くか、脇役とはいえ若き信玄を支えた二人だから興味を持っている。甘利経済産業相も関心があるのではないか。
468 信玄宿将の末裔・甘利経済産業相 古沢襄

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