ウラジオストクやハバロフスクから日本海をまたいで新潟空港に着陸する度に思うのだが、日本はほんとうに美しい国だと実感する。高度を下げてグーンと旋回しながら着陸姿勢に入るのだが、新潟平野がパノラマの様に開けてくる。箱庭のような見事な風景。
太平洋を飛んで成田空港に着陸する時には、この実感が伴わない。東京、横浜の夜景が綺麗だという気はするが、美しさという実感がない。早く着陸して日本茶で虎屋の羊羹を食べたいという食い気の方が先に立つ。
新幹線で旅をする時は本を読んだり、うたた寝をして過ごす。それが在来線の旅となると、車窓に広がる農村風景を飽かずに眺められて楽しい。私は在来線の旅が好きだ。東北新幹線で盛岡に行く時に、わざわざ郡山で下りて在来線で福島まででて、福島から新幹線に乗り継いだこともある。酔狂な旅といわれても仕方ないが、うたた寝の旅よりも遙かに心が豊かになる。
第一線の政治記者だった頃、私たちは国民の声を背にして記者会見に臨んでいるという自負を持ち続けた。だが、よく考えてみると自宅と国会の間を”伝書鳩”のように往復してきたに過ぎない。間に介在する国民と接するチャンスが、あまりにも少なかった。夜討ち朝駆けで、余裕のない日々を送っていた。
記者家業を卒業して、この十年余り、もっぱら農村をめぐって、どぶろくを飲みかわしながら、いろいろと勉強をさせて貰った。福島県の二本松市で酪農家たちの全国大会に参加したこともあった。駆け出し記者の頃、「酪農日本が農業再生のカギ」という企画原稿を書いたことがある。お座なりに酪農地帯をルポ取材したが、もっぱら地方農政局のレクチャーに頼って、即席の原稿を仕立てあげた。
酪農日本の現状は暗澹たるものがある。それを鋭く斬っても、では、どうしたら良いのか、と問われれば回答に窮する。酪農の農家だけでない。零細農家を集約して、大規模農業による効率化、企業化といわれても机上の作文でしかない。これ以上、農村の疲弊が進めば、この美しい国の土台が崩れる。都市だけで国家は成り立たない。すでに、その岐路に立たされている。
大都市に人口を集中させる政策が誤っていたのではないか。都市化の名の下に住宅、道路、上下水道、緑地公園など集中投資をしてきた。便利になったし、働き場所もあるから、さらに人口が都市に集中する。時間が経つと住民不満がたまり、都市再開発の名の下に追加投資が行われてきた。その繰り返しだったと思う。
もう三十数年昔の話になるが、宮沢喜一元総理の弟・弘さんが自治省の官房長だった時期がある。浴衣がけで酒を酌み交わしながら、西ドイツの都市政策を熱っぽく語ってくれた。ドイツにはヒトラーが作ったアウトバーン(自動車道路)がある。(浴衣がけの宮沢弘さん)
空からみるとアウトバーンに沿って人口二十万足らずの地方中核都市が、見事に点在している。その都市の周辺には農村地帯が広がっている。都市と農村の調和がとれた都市政策が日本にも必要でないか、と言った。
私は、それを聞きながらヨーロッパは陸続きだから、発想がつねに国防的見地が根底にあると思った。米ソ冷戦の最中だったから、そういう発想をした。アウトバーンそのものが戦略道路である。ヒトラーは東西に戦車など軍事車両の移動を容易にすることを考え、さらには直線道路を多くして、戦闘機が着陸できるようにしている。
防衛戦略の見地からみれば、大都市に人口を集中させるのは危険な発想である。都市機能を分散させるのは、非効率かもしれないが、防衛戦略としては、まさしく正解なのである。四囲を海にかこまれ、戦争放棄を宣言した日本だから、安心して東京に一極集中の巨大都市を作った。ここに核爆弾が投下されれば、一瞬にして人口の一割が消滅するなど想像もしていない。
宮沢弘さんはドイツの中核都市の一軒一軒を見学したという。どの家にも地下室があって、周辺の農家から買ったイチゴなどから、手作りのジャムが保存されていた。家々のジャムの味が微妙に違っていて、それが楽しかったという。地下室も他国の攻撃から身を護る庶民の知恵なのかもしれない。今になって思うのだが、そういう国造りをした方が正解だったのでなかろうか。都市と農村のバランスが崩れた日本の現状をみると、その思いが強い。
472 西ドイツの都市政策 古沢襄

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