475 欧米的な思考回路の陥穽 古沢襄

戦後、私たちの思考回路は、より欧米的になっている。その思考回路で中国の将来をみるのは危険な気がする。あの国は極めてアジア的な独裁国家である。世界一の人口を擁しているから、人命尊重とか人権という発想が、もともとない。北朝鮮やミャンマーも大同小異。法は国家のために存在し、国民のために存在するものではない。
大方が予測しているのは、中国の急激な経済発展は、日本のバブル経済のようなもので、北京オリンピック、上海万博の後のある時期に、経済破綻をきたすということだろう。私も同じ予測をしている。
しかし中国もそれを予測し、しかも怖れていないと考えたらどうだろうか。経済発展がとまり、豊かさに慣れた一部が不満を持っても、それは十三億の民の一割程度であろう。不満を持っても、大規模な叛乱をおこすエネルギーはないとみておいた方がよい。
叛乱の兆しがあれば、天安門事件でみせた様に容赦なく弾圧するであろう。不満を持っても他の十億の極貧層に較べれば、はるかに恵まれた階層だから、弾圧の危険を冒す筈がない。
十億の極貧層はどうか。各地で農民暴動が頻発しているのは事実だが、これも容赦せずに官憲によって鎮圧されている。北京にまで筵(むしろ)旗を立てて、攻めのぼる大規模叛乱の兆しはない。北京を護衛している人民解放軍は、満州族を中心とした精鋭部隊(第三十八軍)。朝鮮戦争で鴨緑江を渡ってきた義勇軍、林彪指揮下の第四野戦軍の系列に属する部隊。毛沢東は「万歳軍」の名を与えている。漢族が満州族に守られているから奇異といえば、これほど不思議なことはない。
しかも天安門事件で武力鎮圧に当たった実行部隊は第二十七軍。中ソ国境の部隊で、北京語を話せないモンゴル兵主体だというが、実態が明らかでない。しかし、第二十七軍が五六式突撃銃を水平に構え、一斉射撃をして鎮圧に当たったのは周知の事実。
一九八九年の天安門事件から十八年の歳月が経った。その間に人民解放軍は毎年二桁の軍備拡張を続けて、装備の近代化、機動力の強化が著しい。大規模な市民革命や農民革命は予測できないが、もし共産主義政権が倒れるとすれば、人民解放軍による軍事叛乱しか、あり得ない。その兆候は皆無といえる。
共産主義政権内での権力闘争はあるが、人民解放軍が動かないかぎり、コップの中の嵐に過ぎない。欧米が中国の変化に過大な期待をするのは禁物といえよう。目立つ中国の軍備拡張について、欧米諸国は、その意図を図りかねている。しかし、案外、単純なことではないか。人民解放軍を引き寄せておくために、装備の近代化、機動力の強化というオモチヤを与えてきた結果ではなかろうか。極めて内政的な問題に思える。
さらにいうなら、支那史を振り返ると、中国は辺境民族によって支配された歴史を持っている。漢民族は伝統的に新彊ウイグル地区などの叛乱を過大視する傾向がある。辺境民族に対しては、近代化され機動力を持つ軍事力で押さえ込み、人権を抑圧し、民主的報道は徹底した管制下に置く”力による抑圧政策”をとっている。欧米的な思考では理解できないプリミテイブなアジア的抑圧政策といえる。
その中国が世界経済の中で大きな影響力を持つに至った。欧米からみれば無限ともいえる安い労働力が魅力であり、十三億の民を抱えた巨大な市場が魅力である。中国経済が破綻すれば、影響は世界に波及する。中国の国内は武力によって制圧できると、中国の為政者は自信を持っているのではなかろうか。
むしろ中国経済が破綻するば、その影響を受けるのは、日本であり、米国。日本企業は、中国の安価な労働力に目を奪われ、生産拠点を中国に移してきた。中国がコケれば日本もコケる。それだけでない。日本の技術力までもが中国に盗まれている。それでも中国の安価な労働力の魅力から離れるわけにはいかない。ますます依存の度合いを深める危険性すらある。
日本の製造業は空洞化され、農業も高い生産コストに喘ぐ状況を生んでいる。消費者である都市住民は、より安い品物に殺到する。中国の安価な労働力に依存することは、日本が半永久的に中国に依存せざるを得ない構造を生んでいる。中国は慌てて共産主義を輸出する必要はない。安価な労働力で日本の首根っこを押さえ、あとは日本の混乱を待っていればいい。
米国がクシャミをすれば、日本は風邪をひくといわれたが、その中に中国がクシャミをすれば、日本は風邪をひくことになる。これを打開する即効性がある処方箋はない。日本は今や世界第二の経済大国ではなくなった。むしろ消費大国・日本といってもよいだろう。免疫性がないから惰弱な体質といってもよいだろう。
中国へ、中国へと草木も靡く傾向には、危ういものを感じる。市場経済主義、効率主義、コスト主義という欧米的な発想だけでは、中国のアジア的な発想に呑み込まれてしまうのではないか。
中国より距離は遠いが、インドの巨大な人口、安価な労働力、先端的な技術力にも目を配る必要がある。中国依存の構造を分散化しておく戦略的な思考が求められる。石油を中東だけに依存せず、ロシア石油にも目を配る分散化と同じ発想である。
経済合理主義でひた走るよりも、国家の安全保障を念頭に置いた戦略的な思考がないと、中国の経済破綻が現実のものとなった時に、慌てふたいめいて悔いを千載に残すことになりはせぬか。

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