477 シーパワー論の神様・マハン 古沢襄

防衛大学校の学生ならマハン(Alfred Thayer Mahan)の「海上権力史論 The Influence of Sea Power upon History」を一度は読むであろう。古典的な名著だが一般の人には馴染みが薄い。私は戦前の海軍記者だった鈴木英史氏から教えて貰った。アメリカの海軍戦略はマハンの延長線上にある。アメリカの戦略思想を知るためにはマハンの著書から入らねばならないという。
海軍記者から末次信正内相(海軍大将)の秘書官になった鈴木氏だったが、そう言われてもマハンの翻訳書を読む気にはならなかった。仙台でサツ回りに追われる毎日だったから、マハンどころではない。敗戦国がいまさらマハンの勉強をしても仕方あるまい、マハン理論は時代遅れの風評もある・・・東京本社に戻ったら、政治部で夜討ち朝駆けの毎日であった。防衛庁担当になっていたらマハンを読んだかもしれない。外務省担当になったが、安全保障論議にはマハンが入り込む隙間はなかった。
多少なりともマハンに関心を持ったのは、だいぶ後にことである。今でこそアメリカ海軍から英雄として崇拝され、アナポリス兵学校の講堂にマハンの名が付けられているが、最初にマハンの「海上権力史論」を評価したのはイギリス海軍だったと知った。明治海軍は明治六年にイギリス海軍のA・L・ダグラス少佐を招聘して、築地兵学寮で海軍士官の養成を行っている。明治七年に兵学寮を卒業した山本権兵衛は、薩摩出身だったが、薩摩海軍から近代海軍に脱皮する大手術を断行している。
マハンの「海上権力史論」が日本に伝わったのは、日清戦争前の明治二十五年頃と思われるが、イギリス海軍を手本にした日本海軍だから、イギリスが評価したとあって、関心を呼んだのではないか。「海上権力史論」の翻訳本は海軍大臣・西郷従道に贈られた。全訳本は明治天皇にも献上されている。だが、西郷海相にとってマハンの著書は”猫に小判”だったのではないか。薩摩海軍に毛が生えた程度の日本海軍だったから、日本古来の「待ち伏せ」、 「朝駆け」、 「正戦」、 「夜討ち」、「追い討ち」など戦法の方が実戦的で理解しやすい。
日清戦争で東洋一といわれた清国海軍・北洋艦隊と黄海海戦を戦い、明治海軍はからくも勝っている。当時の軍艦は高千穂(3560排水トン)、浪速(同じ)、扶桑(3740トン)がイギリス製。他に金剛(イギリス製)、筑紫(チリ製)、日進(オランダ製)の老朽艦もあった。劣勢な海軍力を補うために徹底した訓練と水雷艇攻撃という戦法が必要不可欠になる。マハンなんて高尚な海軍戦略が入り込む余地はない。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を日本海大海戦で撃滅し大勝利を得たが、日清戦争の海軍戦法の延長線上にあったといえるのではないか。
だが日本の海軍力が強化されるにつれて、マハンの著書があらためて注目された。日本海大海戦で旗艦・三笠艦上にあって、東郷平八郎の連合艦隊作戦参謀であった秋山真之(のち中将、 軍務局長、 第2戦隊司令官)大尉は、1897年に渡米すると直ちに当時の駐在武官成田勝雄中佐の紹介でマハンをニューヨークの私宅に訪れている。
マハンは「海軍の戦略戦術ヲ研究セント欲セバ、海軍大学校僅々数ケ月ノ課程ニテ事足リルモノニアラズ。 必ズ能ク古今海陸ノ戦史ヲ渉猟シテ、 其成敗ノ因テ起キル所以ヲ討研シ、 又欧米諸大家ノ名論卓説ヲ読味シテ其要領ヲ収容シ、以テ自家独特ノ本領ヲ要請スルヲ要ス」と秋山に助言した。
マハンの思想は「制海権」を掌握に尽きる。爾後、日本海軍は制海権の掌握のために、建艦競争に奔走して、世界第三位の海軍力を保有するに至った。この頃には「マハン以前にマハンなく、 マハン以後マハンなし」という日本海軍のマハン称賛がおこった。イギリス海軍をモデルにして建軍された日本海軍が、マハンを海軍大学校教官として招聘し、イギリス海軍方式からアメリカ海軍方式に改編する空気もチャンスもあった。
歴史に「もしも?」は付き物なのだが、マハン招聘が実現していたら、少なくともアメリカ海軍の力量とアメリカの潜在的な工業生産力を見誤ることは無かったであろう。当時の記録では「「米国ノ海軍士官ノ素養ハ欧州一般ノ海軍士官ニ比シテ、稍高尚ナルガ如ク。現世戦術家ノ泰斗タルマハン大佐ノ如キ、薫陶日久シキモノアルヲ見ルトキハ、 他邦ノ上位ニ置クモ決シテ大過ナカルヘキヲ信ス」とベタ誉めである。しかしマハン招聘は、アメリカ側の事情で実現しなかった。
マハンの制海権の掌握思想(シーパワー)は、海軍強国の不変の原理でアメリカ海軍の根本思想といえる。それが大艦巨砲主義となり、艦隊決戦思想に囚われた面は否めない。日本海軍のみならずアメリカ海軍にも、その時期があった。やはり太平洋における日米海軍の死闘の中で、大艦巨砲主義から航空戦力と潜水艦戦力の重視に変化していったとみるべきであろう。そして今では精密兵器とミサイル重視に移った。
アメリカ海軍はマハンの攻勢的海軍の思想を、そのまま受け継いでいる。日本の海上自衛隊は専守防衛の思想を保ってきた。その意味では、マハンのシーパワー論とは異質の様に思う。このところ強化が著しい中国海軍で、マハンの海軍戦略が読まれているのだろうか。孫子の兵法の中国海軍なのだろうか。

コメント

  1. ASAI MASAKI より:

    マハンは近代的(19世紀末から)な海戦に対しては理解が浅かった。と聞いています。海上通商路の保全;というテーマは当時の米国の感覚からすれば理解しがたかったと思います。

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