安倍首相の祖父・岸元首相がA級戦犯容疑で巣鴨拘置所に収監された時に家族にひんぱんに手紙を出していた。娘の洋子さんに宛てた手紙は、よい本を読むようにとか、お習字の勉強を忘れないようにといった父親らしい気遣いのものが多いが、次のようなものがあった。
新憲法に関する金森国務相の著書「憲法随想」を買い求めて、送るように信和君(長男)に云って置きました。金森君は新憲法の第一人者たる権威者ですから、その本は(まだ)見ませぬけれども、是非よく読んだらよいと思います。
新しい日本を本統に美しい姿で作り上げるためには、新憲法の真の意味がよく理解せられ正しく実現せられねばならぬと思います。うわっ面の軽薄な美しい情操の欠けた権利義務だけの口頭の理屈だけでは、到底真実の日本は建設せられません。
新憲法の真精神を体得して、之れを美はしく吾等の日常生活に実現することが必要です。かくして始めて新憲法実施の五月三日が新日本発足の意義ある日となるのです。
昭和二十二年五月二十六日に疎開先の山口県にいた洋子さんに宛てた手紙。昭和十六年十月に東条内閣の商工相となり、十二月八日に宣戦の詔書に副署しているから、戦犯の一人として断罪され、処刑されることは避けがたいと、父は覚悟していたと洋子さんはいう。
昭和二十一年四月二十九日にA級戦犯二十八人の起訴状が公表されたが、岸さんの名はなかった。宮中での最終的に開戦を決める大本営連絡会議に商工相の出席がないからである。それが不起訴、釈放の理由だったという。しかし昭和二十三年十二月二十四日に釈放されるまで洋子さんの気の安まる日はなかった。この日に東条元首相ら七人の死刑が執行されている。
洋子さんは昭和二十六年五月五日に安倍晋太郎氏と結婚した。毎日新聞の政治記者だった晋太郎氏とはお見合い結婚。巣鴨を出所した岸さんは「これからは新聞記者の時代だ」と云い、周囲にも「うちの洋子は新聞記者の嫁にやる」と広言していたから、岸本人の方が晋太郎氏に惚れ込んだのかもしれない。
昭和六十二年に岸さんは亡くなったが九十歳で天寿を全うできたといえる。しかし、その四年後に晋太郎氏は総理・総裁の座を手にすることなく六十七歳で急逝している。心の支えであった父親と夫を失った洋子さんは翌年に文藝春秋社から「わたしの安倍晋太郎 岸信介の娘として」の本を出した。
岸さんが洋子さんに宛てた手紙は、その本に収録されている。私は、この手紙を読んで、安倍首相が「新しい国」と云ったのは、祖父の言葉にルーツがあると真っ先に感じた。おそらく洋子さんは、そう信じているだろう。
486 「新しい国」のルーツ 古沢襄

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