496 東京砂漠は忙しい 古沢襄

言葉の壁というのはあるものだ。日本語と英語やドイツ語の会話のことではない。狭い日本国でも北と南ではお国言葉が違う。古い話になるが、鹿児島市で新聞大会が開かれて、全国から新聞社の幹部が集まった。会議が終わって私の部屋で四人で酒盛りが始まった。
東北の編集局長氏、北陸金沢の編集局長氏、地元薩摩男の編集局長氏と私。いずれも酒が好きで、口数が少ない。男はペラペラ喋るものではない、という古いスタイルの男たちである。ところが酔った金沢男が「こんな文化果つる国に明治維新で何で負けたのか?」と口を滑らした。
小京都を誇る北陸の古都から、殺風景な鹿児島にきたのだから、夜は暗くて人通りが少なくなる薩摩国は、文化果つるところと思ったに違いない。思っても口にはださないのが、男ではないか。酒は飲み過ぎると”気違い水”になる。
これで論争の口火が切られた。「前田百万石だか知らないが、茶道とか謡いとかにうつつを抜かしていたから、遅れをとるのさ」と逆襲する。言われた方は「西郷ドンは城山で討ち死にか」と辺りを見回す。泊まったホテルは”城山観光ホテル”。
鹿児島にきて言ってはならないことがある。西郷隆盛は鹿児島県人の琴線にふれる英雄で、間違っても大久保利通を誉めてはならぬ。薩摩男の形相が変わった。金沢男はそれに気がつかない。酔眼朦朧として東北男に「警視庁の会津抜刀隊が西郷軍を蹴散らしたよな」と東北男に同意を求めた。
こうなると標準語などは使っておれない。気が立っているから、薩摩言葉の速射砲がうなりだす。金沢男も東北男もお国言葉で撃ち返す。間に立つ私は東京生まれの東京育ちだが、仙台に二年、北陸に五年、博多に三年いたから、それぞれのお国言葉は一応は知っている。
しかし平時なら通訳もできようが、速射砲の撃ち合いになると言っていることがトンと分からない。まるで英語とドイツ語の会話を聞いている様なもので、日本語に翻訳の仕様がない。言い合いしている方は、相手の言うことなど聞いていない。そのうちに一人が眠り、二人が眠りだして、私も酔いつぶれてしまった。
新聞記者というのはタフな身体を持っている。翌朝はパッと目を覚まして、仲良く朝食をすませて十時からの会議にでた。前夜の論争なんてケロッと忘れている。お国言葉も忘れて、標準語らしき会話を交わした。
標準語と東京言葉は少し違う。英国に行ってロンドン英語と標準的な英語が違うと教えて貰ったことがある。小学校までは東京言葉オンリーだったが、旧制中学の修了まで四年間は信州で過ごした。信州言葉に染まったから、同じ標準語でも東京言葉とは少し違った。
これを意識したのは仙台の二年間である。東北人は寡黙で重みがあると思われている。たしかに東京にでてくる東北人は、あまり喋らない。黙って人のいうことを聞いている。米内光政は寡黙な人であった。
だが仙台でふれた東北人は饒舌であった。私にいわせれば”ズンズラ弁”が飛び交う。反対に私は寡黙となった。早口言葉の東京言葉は、仙台では肩身の狭い思いをすることが屡々あった。いつしか私も”ズンズラ弁”に染まった。それで、ようやく東北人の仲間入りができた。
一口にいえば、方言の違いもあるが、それはすぐ覚えられる。それよりも東北弁は言葉のテンポが緩やかである。二年後に東京に戻って、東京言葉のテンポの早さに戸惑った。いかにも忙しく余裕がない。街を歩く東京人は忙しく前のめりになって出勤する。仙台から戻った時には、後ろからくる人に、よくぶつかられた。「気をつけろ!」と怒鳴ったこともある。
北陸で五年間を勤務を終えて、東京に戻った時にも同じ思いをした。年賀状に「東京砂漠は忙しい」と書いたこともある。慌てて歩く東京人が哀れだと思った。東京人というが、大部分は地方からでてきた人たちである。私のような生粋の東京人は少ない。早口言葉を使い、慌てて歩く東京人は、早く大都会の空気に馴染もうとしている地方人に過ぎない。
その点、畏友・渡部亮次郎氏は秋田弁を丸だしで、世間を押し渡っている。亡くなった弟分の渡辺幸雄氏も従兄の渡辺美智雄氏と同様、栃木弁を一向に改めようとしなかった。お国訛りや方言は大切にしたい。愛国心の前に郷土を愛する心を大切にすることが必要なのではないか。

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