一九八六年にアメリカのハーバード・ビジネス・スクール出版会から刊行された「America versus Japan」は、二〇年余も過ぎた現在でも光芒を放っている。当時は日米間の経済摩擦が深刻化していた。この時期に訪米した私は、アメリカ総局長だった斉田一路君に連れられてAP通信社の副社長と懇談した。
アメリカについて何も知らない私にとって、この本は恰好の手引き書となった。邦訳は「アメリカ対日本」、ハーバード・ビジネス・スクールのトーマス・K・マクロー教授が編纂した日米産業政策を比較研究した九分野における研究論文。とかくヨーロッパに目を向けがちなアメリカ東部のハーバード大学の研究スタッフが、日本分析に初めて本格的に取り組んだものとして注目に値した。(1987年版の「アメリカ対日本」)
にわか勉強だったから論文内容を完全に理解できたわけではない。だがマクロー教授が「日本対アメリカ 結論と今後の見通し」と題した論文だけは、繰り返し読んで行った。そのお陰でAP副社長の言うことも、アメリカ側の考え方として一応は理解できた。不十分ながら反論もしてきたつもりでいる。
マクロー論文の要点は①日本人は取引を継続的なものと考え、アメリカ人は取引をその場限りのものと考える②アメリカに比べて日本の方が重要な意思決定者の数が少ない傾向がある③アメリカは距離を保った取引と、個人の自主性を重んじることが、日本と反対の結果を生み出している④これはヨーロッパ風の国家統制主義を拒絶したアメリカの建国そのものに根ざしている・・・要約すれば、こんなところであろう。
この前提に立って日米の違いを次のように分析した。アメリカは貿易赤字の記録を更新し、国家債務が膨大になりながら、なお「消費者優先」の国の舵取りを変えようとしない。他方、日本は禁欲的ともみえる貯蓄傾向が顕著で「生産者に配慮」した政策を、なかなか変更しようとしない。
アメリカの政治制度の構造全体が産業政策を堕落させるのに向いている。つまり産業政策を、議員が人気取りのために選挙区を潤す、その手段に堕落させやすい。日本の場合は政府が産業政策を仕切る力は、一時ほどではなくなったが、代わって成功した企業が力を得ている。
さらには日本に留学しているアメリカ人一名につき、アメリカで学んでいる日本人は十五名。両国の人口差を考えると、日本を理解しようとするアメリカ人の努力に比べて、日本人は三十倍の努力をしている。
ここから導きだされる将来像は①アメリカ人は、その消費者優先論を押さえ、生産性や身分相応に生活する大切さを身につける②日本人はもっと消費好きになる。労働時間を欧米並に短縮し、都市の下水道(日本は34%)をイギリス(97%)アメリカ(85%)に近づけるなど生活水準の向上に投資する・・・ことを求めている。
日本人は敗戦の廃墟の中から、持ち前の勤勉さと禁欲的とも思える節約ぶりによって、国を挙げての奇跡的な復興を成し遂げている。誇るべき国民性だと考えるが、欧米からみれば不気味なエネルギーを持った民族と映るのかもしれない。
日本の成功を「アメリカ対日本」では、経済的国家主義への日本の絶大な傾向は、かつての大東亜共栄圏推進の”非軍事版”とまで言っている。ワシントン・ポストがいわれなき反日記事を掲載するのも、日本を知らず理解していないアメリカ人の傾向を反映しているのかもしれない。ニューヨーク・タイムズにも、その傾向がある。
しかし大切なのは、日米の経済・文化の面での相互理解を、もっと深めて、溝を埋める不断の努力を重ねることではないか。それは日本の国際的な孤立を怖れるという狭い根性ではなく、日米の協調こそが世界の平和にとって欠かせないパワーとなった現実を直視することでもある。
アメリカ人の無理解にいきり立つのではなく、双方の文化の違いを乗り越えて、アメリカ人に理解させる日本側の努力が、今は一番必要ではなかろうか。
504 「アメリカ対日本」を再読する 古沢襄

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