509 生意気をお言いでない! 古沢襄

田村俊子賞の受賞作家である一ノ瀬綾さんが、私の母・古沢真喜の生涯を「幻の碧き湖」という著作で描いている。1992年に筑摩書房から発行された。旧制中学の二年生の時に父を失った私は、この母によって育てられた。(「幻の碧き湖」第二刷)

思えば、私はこの育ての親である母のものの考え方、生き様にいつも反発してきた。「養って貰っているのに、生意気をお言いでない」と厳しく叱られもした。反発したから高校の二年生の時にヨット鉛筆の専務の家に住み込みの家庭教師になって一人立ちした。
一九八二年に母は七十二歳で、この世を去った。母の肉体は滅びたが、その考え方は生き続けている。母の文学碑は岩手県西和賀町に父・古沢元とともにあるが、毎年五月になると「文学碑忌」が行われる。美貌だった母の写真(土門拳撮影)がはめ込まれた文学碑に手を合わせながら、私はまだ反発している。
母は戦後、一度も選挙の投票に行かなかった。それを詰ると「生意気をお言いでない。棄権する権利がある」とにらみつけられた。せっせと「人民中国」を買ってきて読んでいたから、人一倍、政治には関心があった。それなら共産党か社会党に一票を投じれば良さそうなものだが、共産党や社会党には背を向けている。
今でいう”無党派”のはしりだったのだろうか。私は無党派なるものを信用していない。投票日が近づくと、いつも母と喧嘩になる。母は戦前の”アカ”であった。子供心にも覚えがあるが、特高警察がよく家にきた。夫の古沢元が留置所に引っ張られていっても平然としていた。
弾圧された社会主義者たちが一国社会主義に活路を見出して転向した時には「極左と極右の根はひとつ」と言い放った。「それは、ていのいい評論家的な態度ではないか」と私が揶揄すると「生意気をお言いでない。人生経験がないお前に何が分かる」とやられた。(若き日の古沢真喜)

晩年の母はひとつの詩を書いた。この詩は、私の字で文学碑に刻み込まれている。
幻の碧き湖を求めて
涯しない人の世の砂漠をさまよいし
わが旅路の漸く終わりに近づきたるか
六十路の半ばもすぎたるに
われ湖にいまだ巡りあえず
されど
いつの日か
そを見ることのあらんかと
されど、あゝ
あくがれの碧き湖は彼方
話は違うが、今はやりの「小さな政府」とは何であろうか。自民党は新綱領で「行政の肥大化」を防いで「小さな政府」を目指すと称した。欧米でも福祉政策などで金がかかって、財政赤字が大きくなったので「小さな政府」論が流行っている。
行政の簡素化はいい。しかし、今のままでは豊かな人たちと所得の低い人たちとの格差を助長せぬか。市場経済の成り行きに任せると、弱者を切り捨てることになりはせぬか。もともと完全な自由放任の市場経済などはあり得ない。
ヨーロッパの社会民主主義政党や保守政党は、計画経済と市場経済の混合システムをとり入れている。自由放任の政治経済思想に対し、多くの国営企業が市場に参入したり、政府が経済政策などを通して社会経済に多くの影響力を行使している。
政府が、均衡財政にこだわらず歳出を行なうことで、乗数効果による国民所得維持を図り、民間投資の減少を引き止め、完全雇用の達成と経済成長を図ることを目的としている。民主党が自民党のコピーにならないためには、ヨーロッパ型の混合システムを色濃く打ち出すべきではないか。その点が中途半端にみえる。母が生きていたら何と言うのであろうか。

コメント

  1. makiko&alex より:

    一気に読みました。古澤さんに手渡されたこの一冊のために本嫌いだった私は電子辞書まで買う羽目に‥(笑)。この本の中で生きているお母さまの一年が、今の私にはとても想像できないほど長いことに驚きました。何ページも読んだのにここまででまだ一年しか経っていないの!?と、愕然。茨城に越して3年で私に起きた変化といえば6キロ太ったことぐらいなのに‥。この本の中にいるどなたの生き方も魅力的ですね。読み終えた感想はとても言葉にできません。私の生き方、少しですが変わりました。感謝します。

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