523 加害者の閉鎖的な自己主張 古沢襄

米国史上最悪の銃撃事件が発生したバージニア工科大学の悲劇は「武器を持つ権利」が保障されている米国社会の病弊とばかりは言い切れない。同じ日に銃所持そのものを禁止する日本でも地方統一選挙の最中に伊藤一長・長崎市長が暴力団によって射たれ殺害される悲劇が起こった。
AP通信社が伝えるところによると全米のキリスト教会で事件の被害者、家族のために祈るように呼びかけが行われている。全米聖職者協議会(NCC、National Clergy Council)のロブ・シェンク代表は「犠牲者のために我々ができる最良で、また唯一つのことは、使徒パウロが『慈愛の父、慰めの神』と祈り求めたように、犠牲者のために、また彼らの家族のために祈ることだ」と、この事件のための祈りを求めた。
その一方で加害者が韓国出身の学生チョ・スンフィ(23)であることから米国における韓国人社会に対する偏見と迫害も懸念されている。在米の韓国人は米国籍を含めては二百万人と言われている。大衆情報化社会の米国では9・11同時多発テロ事件で2973人の犠牲者(犯人含む)を出した後にイスラーム社会に対する広範な偏見・迫害が生まれている。2005年のロンドン同時爆破事件でも同じ傾向が見られた。
犠牲者のための祈りが、加害者の民族に対する報復感情に高まる傾向だけは避けねばならぬ。アフガン戦争もイラク開戦も根底には報復の論理がある。イラク戦争の不条理が米国社会で認識されつつある時に、バージニア工科大学の悲劇によって時計の歯車が逆回転させない理性が必要と思う。大衆化社会は常にその危険性と隣り合わせにある。
その意味で米国に根強いキリスト教原理主義がどのような反応を示すのか注意してかからねばなるまい。シェンク代表は教会の指導者や牧師たちに、若者の間でしっかりとした倫理観を育てることに一層の努力するように伝え「子どもが子どもを殺すとき、悪影響があることは必至だ。いくら法律があろうとも、いくら警察や刑務所があろうとも、殺人をとめることはできない。神を恐れる信仰に基づいた良心だけがそれをできる」と、信仰に基づいた倫理教育の重要性を訴えたとAP通信社は伝えてきた。
銃所持が許されない日本でも裏の”闇社会”では、銃所持が大っぴらに広がりをみせている。これに対する警察の規制も必ずしもうまくいっているとは言えない。むしろ暴力団間の抗争に一般の市民が巻き添えになるケースもでている。米国と日本の事件で共通点があるとすれば、加害者が閉鎖的な自己主張しか考えられない人間であることではないか。
シェンク代表が「神を恐れる信仰に基づいた良心だけがそれをできる」と言ったのは、その意味で現代に生きる私たちにとって、改めて考えてみる古くて新しいテーマなのかもしれない。私たちの周囲を見回しても、自己主張だけがぶつかり合う殺伐たる世相ではないか。あえて神とか信仰を持ち出すまでもなく、他人の気持ちを思いやる良き伝統社会が音をたてて崩れている様に思えてならない。

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