555 直木賞が彩なす人間模様(3) 古沢襄

古澤元の妻・真喜の伝記から、候補当時の古澤元の様子を垣間見てみる。 『幻の碧き湖 古澤真喜の生涯』一ノ瀬 綾(平成4年5月・筑摩書房刊)
~内容~
「碧き湖」(詩)「幻の碧き湖」「あとがき」「参考文献」  古澤襄さんからいただいた資料の数々を読んでいると、戦前の作家たちの生きざまが見えてきて、だんだんと自分の知り合いのように親近感がわいてきて面白い。
一ノ瀬綾『幻の碧き湖』は、古澤元の妻、古澤真喜の視点から彼女の生涯を描いた伝記小説である。研究書ではなく小説だから、非常に感情移入しやすく、昭和初期から戦時下の古澤夫妻の逼迫した生活ぶりなどは胸にせまるものがある。
むろん小説として読むべきで、書かれていることがすべて事実だと認めてはいけないのだろうけど、古澤元が自分の進むべき道、書くべきものを模索するさま、また同人誌仲間だった高見順などがいちはやく文壇に認められてゆく中で、貧しい生活を余儀なくされていることからくる焦燥や苦渋の姿が書かれている。
「紀文抄」が直木賞候補になったのはちょうどその頃だった。
同人雑誌『麦』が注目される中、その九月号に発表した古澤元の小説「紀文抄」が、下半期の直木賞候補に挙げられた。周囲は色めきたった。
「大丈夫、絶対いける」
「いやいや、発表になるまでは……」
騒がしい仲間の取沙汰をよそに、本人の元は浮かぬ顔だった。
「あの小説がなぜ直木賞の対象になるんだ。芥川賞こそふさわしいのに……」
本人の不満は分ったが、真喜は世間の誤解を招きかねない言葉に胸を突かれた。本人が納得できないことを、「直木賞でもいいじゃないですか、長い間の苦労が認められたんですもの……」などとは言えなかった。
何行か中略させていただいて、いよいよ選考会を迎える。
だがいつしか噂は一人歩きしていた。
「古澤元は直木賞が不満で、受賞しても辞退すると言ったそうな……」
そんな囁きが本人の耳に伝わって来る頃には、選考結果が発表になっていた。
落選だった。真喜は重苦しい期待から解放されて、ほっとしたが、同時に五体が沈んでいくような虚しさと疲労感におそわれた。
(何もかも、終った……)
そんな気がしてならなかった。「決定前から辞退するなんて、不遜な文句を吐いたせいだ」そんな陰口も耳に入る。だが、夫の元は普段の意地張りをさらに強くして、愚痴一つ洩らすことなく、昂然と眉を上げていた。
「芥川賞ならよいが、直木賞ではいらない」。
『びしゃもんだて夜話 古澤元・古澤真喜遺稿集』(古澤襄編 昭和57年3月・三信図書刊)
~内容~
真喜「碧き湖」(詩)真喜「碧き湖は彼方」真喜「日記」元「びしゃもんだて夜話」元「鶯宿へ」元「少年」「続少年」「亡友の写真に思う 大池唯雄」「古澤元の生涯 吉見正信」「出会いと作品 池田源尚」「あとがき 古澤 襄」
『文藝春秋』昭和16年3月号の選評で、「紀文抄」に触れているのは 吉川英治、白井喬二、宇野浩二(芥川賞委員兼任)の3人。他の委員や、他の作品に対する評価などの概要は 「選評の概要」第12回をご覧いただくとして、ここでは「紀文抄」についての評言を、できるだけ引用してみる。
吉川英治
まず古澤氏の「紀文抄」が審査にのぼったが、わたくしは四篇中この作をもっとも買わなかった。作家自身もまた純文学を目ざした心構えで書かれたものかと思うが、それにしても時代観や作中の人物が甚だ薄手で新たに示されているものはない。ちらと出て来る義士観などにしても一応ずっと以前に唯物史観の人々に云い古された語片が交じっているという感じを出ない。
巧緻な筆致はある。要するに部屋住のひとが窓から閑にまかせて世間のあらを見て批評しているようで世間の実感なり生々しさがない。もちろん大衆文学の読者には縁遠い性格だし、なおこの程度では純文学温室で観賞植物として見るにもものたらないのではないかと思われる。
白井喬二
今度の候補作品の内から、僕は「上総風土記」「廟行鎮再び」の順序に選び、別に「麦」という同人雑誌に載った「紀文抄」をも併せ推薦した。しかし「紀文抄」は作者古澤元氏が純文学のつもりで書いたのだからと云う説も出たし、僕としてもこの作は巧いには巧いが、表現が古典的といっても好いくらい類型で創造の領域への踏込みが一歩足らないと云う点で、いつでも引っ込めて好いと附言したのだから、諸氏の賛意はかばかしからざるを見て、僕も潔く断念した。
宇野浩二
『紀文抄』は、直木賞というものを頭に入れなければ、私には、この方が、今度の直木賞候補作品の中で、最も面白かった。ところが、この小説は、他の銓衡員たちが、終りの方に――仮名世説ヨリ――とあるので、太田南畝の『仮名世説』の中から得た題材であるというので、私も「それもそうか、」と思って、推奨されなかった。
しかし、私は、後になって考えたのであるが、そういう事に拘らず、この小説は、直木賞の候補より、芥川賞の候補になった方が、と思った。しかし、これは、固より、後の祭である。
どの選評にも「純文学」やら「芥川賞」やらの文字が登場するのは、先に書いたような主催者側からの改革を、実際に選考する委員諸氏がどう受け止めているかが正直に出ているものと読める。
純文学の畑のものを直木賞の舞台で議論しようとしたとき、どうしても「あちらの畑、うちの畑」と、無意識のうちに見えない柵を設けざるを得なかったあらわれなのだろう。柵をとっぱらった上で大衆文学を考えるのは、選考委員たちにとって、そんなに簡単な業ではなかったのだ。
書いた古澤元本人にしたって「紀文抄」を純文学として評価してもらいたかったのは、おそらく間違いない。先に『幻の碧き湖』からもそんな場面を引用したが、その他にこんな逸話もある。直木賞の候補となったと聞いたとき、「芥川賞ならよいが、直木賞ではいらない」と言い、すでに直木賞作家だった友人の大池唯雄が、ニヤニヤしながらそんな古澤の顔を見ていたそうだ。
古澤元はきっと冥途で、こんな愚にもつかない直木賞専門サイトで自分のことがぐだぐだ紹介されているのを苦々しく思っていることだろう。お許しください、元さん。でもね、直木賞の歩み――ふみこんで解釈すれば、日本の大衆文学と純文学の関係性の歩み――から見れば、古澤元「紀文抄」は、重要な意味をもつ道標なのだと、ワタクシは思うのです。(2007年3月21日記 川口則弘)

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