東北の旅にでるのは、温泉宿めぐりでもある。NHKの朝ドラ「どんど晴れ」の視聴率が上がってきたので、盛岡の老舗旅館の大女将を演じる大女優・草笛光子に魅せらる私は、いつしか宮本信子が演じる女将役にも魅せられている。旅館や温泉宿は女将の魅力で決まるというのが、私の年来の主張である。温泉の泉質は二番手の評価基準。
東北の旅にでると足が自然と花巻温泉郷の大沢温泉・山水閣に向かう。ここの大女将である高田ケイさんは私より二歳年上のお姉さまだが、竹久夢二の絵から抜けてでたような美形。凛とした風情で私たちをもてなしてくれる。ことしも年賀状を頂戴した。(大沢温泉郷の入り口)
今回の旅では花巻温泉郷に寄ることができない。北上で下車して西和賀沢内、湯川から鶯宿に抜け、盛岡から帰る日程だからだ。大沢温泉の”草笛光子”にお目にかかるのは、秋の東北旅行に譲るつもりでいる。
その代わりに西和賀町湯川の”宮本信子”に会える楽しみがあった。私の評価基準でいくと西和賀の温泉宿のトップは奥深い湯川温泉郷の「御宿末広」になる。いつしか、ここが定宿になった。
若女将は宮本信子ほどの貫禄がまだ備わっていない。盛岡で美人教師といわれていたのが、御宿末広の若主人に見そめられて温泉宿の女将になった。それだけに一生懸命になって宿の模様を工夫し、気配りをしながら変えている。その素人っぽいところが、泊まり客にとって魅力がある。(夜の御宿末広)
西和賀の温泉郷で宮本信子級といえば、湯本にある湯本ホテルの女将だったのかもしれない。女流作家の一ノ瀬綾さんの女友達。この女将もズブの素人からホテルの女将になったのだが、南部美人の典型のような人である。どちらかといえば、一歩身をひいた優しさで客をもてなしてくれる。その気配りが暖かい。湯本ホテルは昨年末で廃業している。
旅の初日は西和賀町沢内の「沢内バーデン」で宴会をして、元の岩手県副知事だった高橋洋介氏と同じ部屋で寝た。といっても久しぶりだったので、夜遅くまで二人で話をして時間が過ぎるのも忘れるくらいであった。寝る時間は短かった。
そのおかげで温泉に入りそこなった。沢内バーデンは西和賀町が経営しているようなものだから、従業員対策もあって夜一〇時以降は温泉に入れない。会議や催し物で会場を使うことが多いので仕方がなかろう。温泉の泉質はすこぶる良い。八種類の浴槽がある。(沢内バーデンの温泉風呂)
沢内通り(現在の県道一号線)は、安倍貞任、宗任が朝廷軍に追われて厨川柵(盛岡)に向けて敗走した道筋という伝説が遺っている。敗走軍が昼食をとった場所が真昼野、貞任の妻が乳飲み子に乳を与えたところが乳野、朝廷軍と一戦を交えた場所が合戦場・・・この地名が今でも遺っている。
真昼野に「真昼温泉」がある。町民のための銭湯と思えばよい。高橋繁町長と行ってみたのだが、管理人が「朝一〇時から開く決まりになっているが、九時過ぎると入湯客がくるので入れている」と言っていた。
佐々木吉男さんの家は真昼温泉の前に建っている。朝風呂に入れるのが長寿の秘訣なのかもしれない。家の前の椅子に座って私たちを待ってくれていた。「九十六歳になりました」と言う。足は弱くなっていたが、血色がよく「ボケました」というわりに言うことははっきりしている。秩父宮と一緒に参加した北海道特別大演習のことを話してくれた。
足を西和賀町の最北にある貝沢まで伸ばした。峠を越せば雫石町。ここには銀河高原ホテルがある。十年前には敷地にトナカイを放牧していたが、どうなっているのだろうか。ホテル近くのアイスクリーム店に入って「バッケ(蕗のとう)のアイスクリーム」を注文する。
春の蕗の香りがするアイスクリーム。その味に感心したら店主が凍み豆腐を一連くれた。天日で干した凍み豆腐だから、機械干しとは違う。でも、こんなことをして貰ったら間尺に合うまい。ただ恐縮するばかりであった。如何にも田舎らしい素朴な人情。掛け値なしにバッケのアイスクリームが美味しいというのが、せめてものお礼心である。
湯川温泉郷の御宿末広に泊まった翌日は、玉泉寺で一休みさせて貰った。泉全英和尚は法事で出掛けていったので、お寺の二階の座敷で小一時間寝た。突然、驟雨が襲ってきて、叩きつけるような雨音がする。気温も下がって肌寒い。
法事が終わった和尚が戻ったので、和尚の弟子が運転する車で鶯宿温泉に向かう。古沢元の小説に「鶯宿へ」という作品がある。
・・・これで何度目であったろう。その度にだんだん言葉のあやもすっかり堂に入って来たと思いながら、ここでも私は祖父の臨終までの様子をとても熱心に語った。相手はもとは分家の娘で、いまは郷里の部落と二里ばかり離れたこの山の湯の旅館のお神さんになっている和子であった・・・という書き出しで「鶯宿へ」は始まっている。
この和子は古沢一族で沢内村の助役だった吾一氏の娘・国子さんがモデルだという。仙台の第二高等学校に入った古沢元は、帰省すると国子さんを連れて和賀川にカジカ突きに行っている。従妹の国子さんに青年らしいほのかな愛情を感じていたのかもしれない。
国子さんは湯本の温泉宿の女将になり、「高与」という旅館は、すでに廃業したが、まだ健在である。「和子は国子さんでしょう」と私が叔母をからかうと「違うのよ。姉の京子の筈よ」と照れて顔を隠すが、今もって南部美人の面影を残す美形。湯本ホテルの女将とも仲がよかった。
文学碑忌の祭りの後に、和尚が私を鶯宿温泉のホテル「偕楽苑」に連れていくのは、如何にも和尚らしい細やかな心使いである。(偕楽苑の露天風呂)
私はこういった郷里の人たちの優しい心に支えられて生きている。その恩返しのため、残りの人生を人のために尽くすことしかない。日本中がそのような心で満たされれば、ささくれ立った世相は変わると思うのだが・・・。
558 東北の温泉宿の女将たち 古沢襄

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