562 東北の夏祭りに想う 古沢襄

東北の三大祭りは、仙台七夕祭り、青森ねぶた祭と秋田の竿灯祭。さらには山形の花笠まつりを加えて四大祭りといっている。一年の半分は雪に閉ざされる東北は夏が短く、秋はさらに短い。
・・・部落の刈入期、冬籠支度の季節もゆくと、いよいよ東北特有の陰鬱な季節がはじまる。ここには晩秋といわれる期間はない。強いてそれに当たる期間を求めるならば、所謂白魔が霏霏として襲い来るしばらくの間、すなわち此の日ねもす夜もす倦むこともなく霖雨のやうにしんしんとして降りつづけるこの地方で寒雨と呼ぶものの降り通す十日間前後の間であろう。
梧桐(あおぎり)や厚朴(ほほのき)のような大様な木の葉は言わずもがな、けやき、落葉松のやうな小粒なものさえ、この寒雨にすすがれると、鋭い刃物で裁ち落されるやうに見るみる中に散り落ち、文字通り寥々とした坊主樹となり果ててゆく・・・古沢元の小説「びしゃもんだて夜話」の一節である。
それだけに東北人の短い夏にかける想いは強い。夏祭りの熱気は、そこから来る。東北人は概して口が重く、行動的ではない。その半面、思索し、思念する傾向がある。雪に閉ざされる生活から、自然と生まれた性格なのであろう。それが時には爆発的な行動に出ることがある。東北の夏祭りをみる度に、そんな感想を持ってきた。
私は如何にも東北らしい祭りは、秋田の西馬音内盆踊り(国指定重要無形民俗文化財)だと思う。踊り継がれて七百年の歴史を持つ伝統行事だが、編み笠を深くかぶり、美しい端布で縫い上げた衣装を纏って、行列踊りをしてくれる秋田女性の姿は、幻想的で心を奪われる。(西馬音内盆踊りの踊り手)

私は最初の年は沿道にござを敷いて観た。次の年には沿道に作られた桟敷の上から観たが、やはり沿道で埃を浴びながら観た方が良い。高いところから観る踊りではない。西馬音内盆踊りは、あくまで秋田女性が主役なので、行列踊りの踊り手が、足を滑らせないように男衆は砂を撒いて回る。櫓を組んで「よせ太鼓」「音頭」「とり音頭」「がんけ」を演ずるのは男衆だが、あくまで脇役である。
絹の端布で縫い上げた衣装は「端縫い衣装」というが、祖母から母へ、そして子供に受け継がれて、それを身につけて一年に一度の踊りに出てくる。艶やかで大正年間には「風俗を乱す」と無粋な警察当局から弾圧されたこともある。
その由来はつまびらかではない。慶長年間に西馬音内の城主だった小野寺茂道一族が滅ぼされ、土着した遺臣たちが主君を偲んで、旧盆の十六日から二十日までの五日間、西馬音内の宝泉寺境内で亡者踊りをしていたという伝説もある。一人前の踊り手になる前の若い女性は「端縫い衣装」を纏わずに、黒い覆面をかぶった「ひさこ頭巾」で踊りの行列に加わっている。(「端縫い衣装」と「ひさこ頭巾」の踊り手)

時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊りたんせ
日本開闢(かいびゃく) 天の岩戸も 踊りで夜が明けた
踊りの上手も 見目のよいのも 土地柄血すじ柄
なんでもかんでも 嫁ッコ欲しがら ここから貰いたんせ
踊るて跳ねるて 若いうちだよ おらよに年ゆけば
なんぼ上手に 踊ってみせだて 誰もみる人ねえ
西馬音内音頭の一節である。女性が主役で、男性が脇役であるかぎり平和が続いて、子孫が増え続けるのかもしれない。女性首相が誕生するのも遠いことではあるまい。

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