565 トムソン・ロイターは世界の目と耳に 古沢襄

高坂正堯氏は「ロイター通信社は大英帝国の目であり耳であった」と言った。七つの海を支配した大英帝国は、船団を組む輸送シシテムと、シテイを中心とした金融システム、さらには電信による情報ネットワークを構築している。
その歴史の中でロイター通信社が果たした役割は大きい。ロイター小史の巻頭言には「通信社とはわれわれが吸っている空気のようなものである。その存在ははっきり見えないが、どこにでも存在している。
それは無形であるが、人間の思想を形成する。通信社にはポリシー(政策)はない。だが、政策は通信社なくしては形成できない。それは最も控え目ではあるが、きわめて重要なジャーナリズムである。
通信社の機能はかなり複雑だが、それによって世界は自己を認識できるのだ」と書いた。蓋し至言であろう。大英帝国は衰退したが、ロイター通信社は、むしろ英国の通信社から世界のマスコミに影響を及ぼす国際通信社に成長している。
その流れからいえば、カナダの情報サービス大手「トムソン」が、ロイター通信社を二兆円強で買収して、新たな統合会社「トムソン・ロイター」が誕生したのは、時代の赴くところ自然の流れといえるかもしれない。ある意味では多国籍通信社の誕生といってもよい。「トムソン」の裏には米国があるといわれる。
ロイター通信社の創設者はユーリウス・ド・ロイター。プロイセン(ドイツ)のユダヤ教徒の家庭で生まれた。一八四四年にユダヤ教からキリスト教に改宗している。プロイセンの政情不安を避けてフランスのパリに逃れ、やがて海を渡ってロンドンに行く。一八五一年のことである。
大英帝国の発展の蔭でロイターが築いた情報通信世界は、二〇世紀になって第一次世界大戦が勃発すると圧倒的な力を示した、全世界の張り巡らされたロイター通信網によって、ドイツとの情報戦争で勝ったのである。敗戦後、ドイツ政府首脳は「軍事的には英国に負なかったが、情報戦でロイターに完敗した」と述べている。
しかしユーリウス・ド・ロイターは二〇世紀の曙をみることなく一八九九年に亡くなっている。すでにロイターの経営は軌道に乗っていた。ハーバート・ド・ロイターの自殺という不幸な事件によって、ロイター家は絶えたが、ロデリック・ジョーンズ、クリストファーチャンセラーとウイリアム・モロニーの二頭政治などで危機を越えてきた。
むしろロイター通信社の危機は第二次世界大戦後に生まれたのではないか。世界の百五十カ国230都市に支局を置き、とくに中東情報では米国のAP通信社を凌ぐものがある。しかしテレビという映像メデイアの出現によって、新聞という活字メデイアが追い上げられ、さらにはインターネット革命によって既存のメデイアそのものが厳しい風圧に曝される事態を迎えている。
一九七〇年頃から日本のマスコミ界でも総合情報産業化が叫ばれ、ニューメデイア論議が起こった。ロイター通信社はいち早く経済ニュースや金融情報サービスの強化に取り組み、社内の反対を押し切って、為替取引の仲介業務にも参入、売り上げの95%以上を金融情報サービスが稼ぎ出す改革を行った。これによって経営悪化を乗り切ることができたが、報道機関としての売り上げの比率は減っている。
新しい「トムソン・ロイター」が、どの方向にいくのか定かでない。しかしインターネット革命の暴風雨の中での船出であることは間違いなかろう。それが経済ニュースや金融情報サービスの枠内であれば、これまでの国際通信社ロイターと変わりない。米国が背後にあるとすれば、違った多国籍のマンモス通信社に化ける可能性がある。
ロイター通信社の創始者であるユーリウス・ド・ロイターは、リベラルな立場から政治運動には深入りしていない。むしろ商売としてのロイターに重きを置いた。大英帝国の凋落を肌で感じていたから、国際政治よりも国際経済の通信社像を描いていたのであろう。
しかし、国際経済の裏には熾烈な国際政治が存在している。英国の手を放れた「トムソン・ロイター」は超大国米国の影響を少なからず受けるのではないか。「ロイター通信社は大英帝国の目であり耳であった」の言葉を借りれば「トムソン・ロイターは世界の目であり耳であった」ことを目指す気がする。

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