609 609 総理の無知無駄死に 渡部亮次郎

大平正芳さんが総理在職中に急死(1980年6月12日)してから27年経つそうだ。朝日新聞政治記者だった国正武重氏が今度著した「権力の病室 大平総理最期の14日間」(文藝春秋)を読み終えた。
結論を言えば大平さんが糖尿病の注射を受けていれば、ああいう早死にはしなかったし、記者たちに糖尿病のことが少しでも分っていれば、こういう本は出来なかったろう。
私は大平内閣の外務大臣秘書官として発令はされたが、大平さんと言葉を交わした事は1度も無い。昭和53年12月7日に第68代の総理大臣に就任できたのは田中角栄のお蔭だった。
派閥の鈴木善幸氏も宮沢喜一氏も何もしていない。宮沢氏は大平氏を馬鹿にしていたし、善幸氏は大平氏に馬鹿にされていたから。大平氏の好きなのは伊東正義、佐々木義武、大来佐武郎の各氏。興亜院仲間である。
昭和51(1986)年秋に、大平さんはライバルの福田赳夫と密約を交わした。立会人は鈴木善幸氏と園田直氏である。もう1人いた保利茂氏は署名を拒否した。「福田を2年間、総裁にし、大平は幹事長をする」というもの。
ところが2年経ったところで福田が密約の反古を目論む。「世界が福田を求めているので、この後も総裁選に立候補する」と言い放つ。大平氏、憤慨して立候補。
結果は親友田中角栄の底知れぬ梃入れで大勝利。第68代の総理大臣に就任できたのは田中角栄のお蔭だったという所以である。密約にしろ公約にしろ「2年間でいいから総理をやらせてください」と言って成らせてもらった男の約束、守るのが男というものだ。
それなのに福田氏は男の約束を踏みにじったばかりか、大平や田中氏を怨み、嫌味つらみのさんざんを大平にぶつけ、1度目は組閣を40日も邪魔した。
2度目は野党の出した不信任案に賛成して衆院を解散させ、衆参同時選挙をやらせた。結果、大平は極度の過労が引き金となって狭心症で倒れ、14日後、死去。解剖したら心筋梗塞とわかった。
実は太平さんは大の糖尿病患者であることを私は外務省で事前に知っていた。ある幹部の弟さんが大平を糖尿病と診断した医者であるが、大平はこの医者の指示を全く聞かない最低の患者であると嘆いていることから知った。
その時、わが外務大臣園田直は既に糖尿病の末期であり、ある医者から「何しろ『腎虚』ですからもはや助けようがありません」といわれショックを受けていたので、入院と聞いて「大平さんもやがて・・・」と思っていたのである。
のちに園田の死後、私もあろうことか糖尿病を発症、この病気に詳しくなったが、専門用語で「合併症」とされる糖尿病の余病の最たるものが心臓では心筋梗塞、頭では脳梗塞、目では網膜症、腎臓では腎不全、足では壊疽なのである。
大平は四国の中農の出。奨学金で東京商科大学(一ツ橋大学)を出て大蔵省にキャリアとして入省。戦後間もなく大蔵大臣になった池田勇人の秘書官となった。同じく秘書官になったのが東大出で英悟達者の宮沢喜一。二人は深刻な不仲になった。
糖尿病は膵臓から出るインスリンというホルモンが次第に減ってゆくために糖分となった食事を十分肉や血液として取り込めず、小便に余った糖分が混じって出てしまう病気。
人類は歴史上、栄養を過分に摂取できた時代が殆ど無かった。そのために近世のように摂取する過分な栄養を消化できるほどのインスリン湧出能力は無い人が多いとされている。
大平も園田も田中角栄も田中六助の伊東正義もインスリン湧出能力において貧困なDNAしかなかったのである。皆、糖尿病から出た合併症で死んだ。
大平さんが糖尿病を発症したのはいつかは知らない。普通は40歳前後である。しかし大平が糖尿持ちであることを知る人は政界では少なかったし、知っていてもそれが放置すれば深刻な合併症を発病して死に至ることを知っている人は少なかった。
田中龍夫氏や山中貞則氏は早くから糖尿病持ちであることを隠さず、インスリンを毎日注射で補給していること、したがって酒席は遠慮することを公表していたが、むしろ珍しがられた存在だった。
国正武重氏の今回の本を読むと、大平さんの病気について入院先の東京・虎ノ門病院の主治医らは狭心症であり、産経新聞だけが報じた「心筋梗塞」を最期まで否定した。解剖してみたら心筋梗塞と分ったが。
要するに大平総理は早くに「糖尿病末期」だったのである。おそらく50歳ぐらいにはインスリンの注射を毎日、朝夕に打たなければならない身体になっていたはずだ。
田中角栄だってそうだったのだ。自分は糖尿病と診断されているのだから、素直に対処していれば80や90までは生きた筈。返す返すも残念だった。
言い忘れたが糖尿病はかかってから10年ぐらいも自覚症状が無いことが多い。末期になるとやたら喉が渇くらしい。私の場合は、48歳の時、口の中が粘つくので自発的に検査を受けたら断定されて観念した。一生付き合ってゆくしかない、と。完治しないというのだから。
大平総理にはいろいろな専門医がついた。糖尿病の専門医は初めから心筋梗塞を疑ったはずだ。しかし、だからと言って症状はすでに末期であり、手の施しようも無い。次に発作がくれば臨終とは覚悟していたはず。
だが、それを口に出せば直ちに政変となる。取材する記者は糖尿病について全く素人だから、医師たちとの長々としたやり取りは素人の落語を聞かされているようで退屈だった。
私も記者の初めのころの昭和39(1964)年9月に時の総理大臣池田勇人が前癌症状なのか癌なのか医者周りをしたことがある。
終いにある権威が「記者さん、癌に前癌症状なんて無いんですよ」と聞かされて「特種!」と飛び上がったが、総理は病室でテレビだけは見ていると聞かされて放送できなかったことがある。
心筋梗塞=冠状動脈の閉塞または急激な血流減少により、心筋(心臓の筋肉)に変性・壊死を起こす疾患。壮年以後に多く、急に激しい胸痛を感じ、悪心、嘔吐、顔面蒼白、血圧降下を起こし、ショック状態となる。重症の場合は死に至る。
狭心症=心臓部に起こる激烈な疼痛発作。痛みは多く左腕に放散する。冠状動脈の痙攣、硬化、狭窄などにより、心臓への血流が妨げられることによって起こる。(いずれも「広辞苑」)2007・05・28

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