初夏をいろどる果物のひとつにサクランボがある。繊細で傷みやすく,最盛期は六月半ばからのわずかひと月ほど。
黄色や紅[くれない]に輝く艶やかさ,形も小さくて愛らしい。口に含んでかるく歯をたてると,果肉がはじけ,甘く,ときにほのかな酸っぱさが口のなかいっぱいにひろがってゆく。梅雨のうっとうしさを一瞬に忘れさせ,やがて訪れる本格的な夏を予感させてくれる果物だ。
小学生のころ,めずらしくクラスの友だち数人が家に遊びにきたことがある。そのとき母親が,おやつとしてガラスの器に山盛りの奮発をしてくれたのが旬のサクランボだった。豊かさとは縁遠いウチの経済事情では普段あまり出てくることのない,ぜいたくなおやつだったはずだ。
そのうち,みんなして口に残った種を二階の裏の窓から吹きとばして遊んだ。遠い記憶をまさぐってみてもだれが最初にやりだしたのかはボンヤリかすんでいるが,おそらくぼくだったのだろう。
小さな種は小雨のなかを飛んで細い路地に張りだしたトタン屋根に落ちる。何粒も雨樋に転がっては溜まる。そんなことが単純におもしろかった。
悪ふざけをしているつもりなどまったくなかったから,友だちが帰ったあとで母親に叱られたときは悄気[しよげ]た。樋が詰まるということらしい。ハッと気がついて悄気かえるいっぽうで,ぼくは内心,樋が詰まろうがそれがなんだとささやかに反発していたのは,そろそろ反抗期に入りかけていたからだろう。
ぼくのなかでは,そういう甘酸っぱい記憶とも,サクランボは鮮明に結びついている
さくらんぼ六月生れ讃ふべし
轡田[くつわだ]進という人の作。
ぼくも六月生まれだから,この句を読んで単純にうれしくなって閻魔帳に書きぬいたものらしい。句と名前だけで,出典も,作者がどういう人物かも書きつけていない。やはりぼくは単細胞,というより典型的な俗物なのである。讃うべき人生とは縁遠い。
大の俗物嫌いだった太宰治も六月生まれである。一九〇九年(明治四十二)のこの月十九日に青森県北津軽郡金木村,現在の金木町で生まれている。
一九四八年(昭和二十三)同月同日,つまり記念すべき誕生日に東京・三鷹の玉川上水で情死体が発見され,祥月命日の桜桃忌は十九日におこなわれているようだ。文学事典などには失踪した十三日が死亡の日付として記されている場合がある。
満で三十九年間のその短い生涯は果たして讃えられるべきものだったのかどうか,判断は人さまざまだろう。しかし,すぐれた多くの作品を遺したのである,ただそれだけでも讃えられてしかるべきだろう。引き合いに出すのは滑稽だが,むざむざと太宰の年齢を超えてしまったぼくなどは,そう思う。
“子供より親が大事,と思いたい。”
よく知られたこの一節で始まる『桜桃』という短篇小説は,つぎのような展開で終わっている。
妻との言葉の行き違いからいたたまれなくなって家を飛びだした小説家がいきつけの飲み屋に入る。すると,季節の桜桃が出される。引用は新潮文庫版から。
“私の家では,子供たちに,ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは,桜桃など,見た事も無いかも知れない。食べさせたら,よろこぶだろう。父が持って帰ったら,よろこぶだろう。”
だが彼は大皿に盛られた桜桃をまずそうに食べては種を吐き,心のなかで虚勢のように,もう一度つぶやくのである――“子供より親が大事。”と。
一九四八年五月,太宰が心中する直前に発表された作品である。一九六〇年代というぼくの小学生時代でもサクランボは高価でめったに口にすることのない果物だったから,敗戦の混乱からまだ日の浅い当時の桜桃は,流行作家になっていた太宰にとっても贅沢品だった。桜桃そのものも少なかっただろう。
『浦島さん』という作品のなかにも桜桃は登場する。この短篇は,敗戦直後の一九四五年(昭和二十)十月に刊行された『お伽草子』に入っている。
竜宮城に“海の桜桃”があるという。
“これを食べると三百年間,老いる事が無いのです。”
竜宮城に案内してくれた亀が説明すると,浦島はこう応じる。
“私はどうも,老醜というものがきらいでね。死ぬのは,そんなにこわくもないけれど,どうも老醜だけは私の趣味に合わない。もっと,食べてみようかしら。”
さて,太宰が桜桃と書き,轡田進はさくらんぼと書いているこの果物,ぼくは同じものとしてこの文章を書いてきたことにお気づきだろう。
しかし,果たして桜桃とサクランボとは,まったく同じものと考えてまちがいないのだろうか。ただ呼び方が違うだけのことなのだろうか。“さくらんぼ六月生れ讃ふべし”という句と太宰の桜桃にかかわる小説からふたつの単語をとりだし,まじまじ見ていると,その点が気になってくるのである。
調べてみたら本来はちょっと違うニュアンスだったらしい。以下,簡単に報告しておきたい。
サクランボは桜ん坊のつづまった呼び名で,要するに桜の実。
ところが,ふつう並木として植えられるソメイヨシノなどの種類には食用になるほどの大きなサクランボは実らない。果物屋さんや八百屋さんの店頭に出まわるような果肉の豊かなサクランボが生る木はミザクラ(実桜)という。
ミザクラには,中国原産のシナミザクラ(支那実桜)と西アジア原産のセイヨウミザク(西洋実桜)の二種がある。
漢名で桜桃と呼ぶ場合は,もともとシナミザクラ(支那実桜)に生るサクランボを指したはずだが,このシナミザクラに生るサクランボは味が落ちるため店頭には出まわらず,いまでは栽培もされないらしい。
日本には,明治の初頭になってセイヨウミザクラが移植されてひろまり,現在は,このセイヨウミザクラの実であるチェリーをサクランボもしくは桜桃という両様の名称で呼んでいるわけだ。
佐藤錦というスイート・チェリーの一種が主流として知られている。おもな産地は山形県。近年,輸入が自由化されて豊富に出まわるようになった黒っぽいアメリカン・チェリーなども,セイヨウミザクラに生るスイート・チェリーの一品種である。
いっぽう,チェリー酒やシロップ漬けに利用される酸っぱいサワー・チェリーもある。日本では缶詰などに加工されたもの以外あまりお目にかからない。
太宰が好んだ桜桃は,いったいどんな種類だったのだろう。中国原産の桜桃だったのか,それともセイヨウミザクラ系のチェリーだったのか。
どちらにせよ,現在のように甘味のまさったサクランボではなかったような気がする。いや,むしろ酸っぱい桜桃だったにちがいない。(杜父魚文庫より)
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