624 624 馬鹿といわれて怒る馬鹿 渡部亮次郎

この世の中には三種の馬鹿がいるという話を書いたら「失礼だ」と怒りの投書が来た。同時に真実を突いた、と喝采を叫ぶ反応もあった。
元々これは死んだ元外務大臣園田直氏が口癖のように言っていたことば。同時に「理路整然たる非常識」を添えてキャリア官僚を揶揄していた。
「園田直さんは世の中にバカの三種がある、といつも言っていた。 一に学校の先生。二は医者、三に銀行員。目下のものや弱者を相手に威張ってばかりいるから常識の無いバカになる。酒を飲んでも話題が無く、常識がないから腹立たしいことを平気で言う。その通りらしい。」と私のメルマガ「頂門の一針」に書いたら文句が来た。
<今回のメールに上記のような表現があり、実にがっかりしております。私の家族にも学校の先生と医者がいます。ご指摘のバカの三種の特徴はまさにその通りとは思いますが、これは内輪で話す内容(悪口)であり多人数に配信しているメールに書くべきこととは思えません。該当業種の方に失礼とは思わないのでしょうか。それとも軽い冗談のつもりでしょうか。(一部略)若輩者が偉そうに申し訳ありませんが、折角のメールマガジンの品格が落ちると思い書かせていただきました。(苗字添付)>
馬鹿が馬鹿を弁(わきま)えていれば世間は馬鹿といわない。だが、馬鹿が利巧ぶるから馬鹿という。利巧ぶってはいるが、本当は世間知らずで、相手の立場を考えない言動を繰り返すから馬鹿というのである。
園田氏が言った意味はそこにあって、世間では利巧そうに見えながら実は一番世間知らずであることを先生、医者、銀行員になぞらえて喝破したものであろう。
だから訳知りは「先生、と言われるほどの馬鹿じゃなし」とも言う。この場合の先生には国会議員も含まれる。2006年3月31日に民主党代表を引責辞任した前原誠司氏は利巧馬鹿のいい例じゃないか。
翌4月1日付けの読売新聞によると、前原氏に武村正義元蔵相が2月23日に電話して「大丈夫か」と声をかけると、前原氏は「私はいけるところまで頑張ります」と答えた。これが傷を深めた。
武村氏がここであえて電話したのは「辞めろ」という助言である。それが証拠にこうして新聞記者に電話の内容をバラしているではないか。だが、優等生の前原氏には「惻隠の情」の意味が分からなかった。
左脳一辺倒の言語と論理的思考の左脳記憶学習という現在の学校教育の犠牲者といわざるを得ない。「行けるところまで行く」とは、あの場合、党を再起不能にまで貶めることだとは気がつかない。右脳が全くと言っていいほど発達してない。
メール事件が起こって急遽国対委員長に引っ張り出され、さらにあっと言う間にクビになった渡部恒三氏が嘆いている(一日付読売紙)「(事件の)報告書なんか作ることなかったのに」。論理的にばかり考えるから必要の無い報告書を作り、それに縛られて執行部総辞職とは締まらないこと夥しい。
「我々自民党に居た人間は初めから議員は悪く言われるものと思っている。だけど、民主党の議員は風で当選してきているから、悪人になれない」。民主党幼稚園の実態を喝破しているではないか。
気象庁職員からシベリヤ抑留を経て直木賞作家になった新田次郎。夫人はシベリヤ抑留中に三人の幼い子供をつれて満洲から帰還するまでの苦労を綴って大ベストセラー「流れる星は生きている」を著した藤原てい。
この夫婦の次男が数学者でお茶の水女子大学教授の藤原正彦氏である。数学では世界的な碩学だが、文化人類学の碩学でもあると思う。最近の評論集「国家の品格」(新潮社)は日ごろの持論を纏めたものだが、深く心を打つものがあり、軽く100万部を突破した。
この中にアメリカ教育の失敗例をいくつも書き、ひいてはそれをさらに真似る文部科学省教育の「失敗確実 小学生の英語教育」も指摘しているが、単純性脳膜炎みたいな別の話もある。
藤原さんは若くしてアメリカの大学で助教授をされたが、学生の英語があまりにも乱れて酷いので原因を調べてみると、彼らは高校の英語(国語)の時間に、英語を勉強せずにタイプライターの打ち方に打ち込んでいたのだという。
つまり「アメリカ人の全てが社会に出たらタイプを打つ。だからタイプは出来なければならない。ならば学校で教え、皆がタイプを打てるようにしよう。これは正しい論理です」。しかし1970年代後半になると海軍の新兵さんの25%が武器の取扱書を読めなくなって政府を慌てさせたそうだ。
「正しい論理を追求して(国語の読み書きが不十分な大学生を作ると言う)惨憺たる結果を招いたわけです」。こんな軽薄なアメリカ思想にかぶれた文教行政の犠牲者が偏差値だけが高い「秀才?君」を大量生産したのが戦後60年の成果?である。
モーツアルト。2006年は生誕250年。天才とされているが、深く見ると単なる天才ではない。父親の音楽的なしごきに耐えて血のにじむような努力を重ねることの出来た稀有の才能の人というべきだそうだ。
今の日本では、東大、京大、早稲田、慶応を出てキャリアの官僚になったり、松下政経塾を経て代議士にでもなれば「秀才」で「偉い人」ということになっている。
しかしいくら試験の成績が良いからと言って、国家の将来より老後の心配を先にした防衛施設庁役人などは偉いどころか馬鹿で、国民の敵だ。
問題は世の中に出てからだ。東大卒、大蔵官僚だった永田寿康氏を今回「偉い」と思った人は少ないだろう。努力した天才はモーツアルトになったけれど、努力しない元秀才は馬鹿になる。
私が主宰するメールマガジン「頂門の一針」にはかなりの数の読者がいるが、ずいぶん癪に障るメールが来る。大学の先生に馬鹿というと一番怒る。馬鹿と思っておらず私よりは偉いと思っているのでしょう。
しかし大学卒業以来、毎日井の中の蛙をやっているから日に日に馬鹿になって行くこと必定なのだ。大学を出るときは成績があれほど良かった、教授にもなった、それなのにとんでもない野郎から馬鹿呼ばわりされた、オレが馬鹿だと思うあいつが馬鹿なのだ!
こういうのを本当の馬鹿という。それが多い。セクハラ、盗作の多いのも教授だ。私の友人はロシヤ語の専門家で特派員をやったが大学教授になったときはITの専門家としてだった。こうした世間を知った上で教授になった人を排除にかかるのも馬鹿教授というから厄介だ。

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