628 628 石原裕次郎様へ 菊池今朝和

天国の裕次郎さん、そちらの生活はいかがですか。
私の遠い思い出のなかに、『黒部の太陽』撮影のため、八方尾根をゆっくり、ゆっくり登ってゆく、裕ちゃんの後姿が焼きついています。つい、さっきまで国民宿舎八方池山荘のロビーで、スタッフの皆さんと談笑していたのに、第三ケルンに向かう裕ちゃんの背中には、やけに男の寂寥がにじみ出ていました。
裕ちゃんて、明るく、快活でバイタリティのあるナイスガイが地かなと思い込んでいたのですが、本当は照れ屋で、孤独な人ではないだろうかと、そのとき感じました。そういえば裕ちゃんの笑顔って、いつもはにかみを湛えていましたよね。
裕ちゃんが、私が働いていた山小屋、八方池山荘へやってこられたのは昭和32年の11月18、19の両日でした。
前日までワイヤーの架け替えで運休していた、兎平、黒菱間のアルペンリフトでしたが、再開を待ち一番のリフトで上がってきました。黒菱からは40分の急登。スタッフの皆さんはバテバテのようでしたが、皆と同じように荷を背負ってきた、裕ちゃん一人だけが元気がよかったですね。
同僚の女の子がお茶を差し出すと、ビールを注文、本当に美味しそうに長い足を組んで、飲んでいた姿が忘れられません。
当時私は、夏は3000mの白馬岳の山小屋で働き、冬は八方池山荘で働いていました。今で言う自然派のフリーターでしたね。10人ほど働いていたスタッフも、ほとんど私と同じ心根でした。
裕ちゃんは、ただ山が好きで山に閉じこもっている私を理解できなく、私に色々質問や感想を洩らしましたよね。
「山が好きというは分かったが、そこに住んで働くというのは分からんな」。
「俺は山より都会が好きだなー」。
そこで、東京での生活の経験があり、岩手出身の私は山小屋で働くことになった、経緯を述べ、その頃口癖にしていた「山は生活の一部ですから」と駄目をおすと、裕ちゃんは「やっぱり東京はいいよ、人が沢山いるのがいいし、夜の東京なんて最高だぜ」と切り返した。
実は、共演の樫山文江さんは、日程が空いたということで、前日夕方、3時間近く掛けて入山していた。前日は、リフト運休であった。そのことの話が、裕ちゃんに親近感を感じさせてくれた。
山荘に電話があったのは、夕食の支度で忙しい17時過ぎだった。兎平まで迎えに行った私たちは、樫山文江さんの腰にロープを回し、左右で二人がロープを引き上げ、私が後ろから樫山さんのお尻を押しながら登った2時間余りの顛末を、裕ちゃんに語った。
裕ちゃんは始終、笑顔を浮かべながら、「文江ちゃん、よくあんな急なところよく登ったよね。俺なんかじゃ無理だな」としきりに感心していた言葉も懐かしい。
頃合いをみて、半切の八方尾根の空撮写真にサインを求めた。お供の人が制したが、裕ちゃんは「こんな立派な写真に書いていいの、俺、字下手だよ」といいながら手を伸ばしてくれた。
写真の中央に大きく黒部の太陽と書くと、その左手に石原裕次郎とサインしてくれた。サインが済むと、樫山文江さんを呼び、空いた右手にサインをするように促してくれた。裕ちゃんの優しい心遣いをみた、嬉しいワンシーンであった。
そのとき、10歳年上の裕ちゃんに雲の上の人ながらも、兄貴に似た親近感を感じ、身近な人であって欲しいと思いましたが、程なくロケ地の第三ケルンめざして登られ、私の眼前から去られた。
裕ちゃん、私は今でも山に登っています。でも人も街も好きで、裕ちゃんの好きだった東京にも時々足を伸ばしていますよ。

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